私には赤い糸が見える。
赤い糸とは、よくある設定の赤い糸のことだ。
他の人には見えないらしい。
一列に並んで登校する子どもたち。
エナメルバッグの女子校生。
ベンチに座る老夫婦。
仕事帰りのサラリーマン。
年齢に関係なく赤い糸は繋がっている。
当然、赤い糸がない者や、
赤い糸はあっても一人でいる者もいる。
しかし意外なことに、
繋がり合っているペアは極めて稀だ。
例えばそこで仲睦まじくしている男女も、
繋がる糸は双方とも明後日の方向へ飛んでいる。
片方には赤い糸がないコンビや、
赤い糸がない者同士も日常的に見かける。
先日やっていたテレビで、
国際結婚をしたカップルが繋がり合っているのを見て、
柄にもなく声が出てしまったのを覚えている。
彼ら彼女らが幸せかどうかはわからない。
しかしこの能力によって、
人を遠ざけてきた私よりもよほど幸せそうに見える。
私の指に繋がった赤い糸。
相手は確実に私にとって素敵な人なのだろう。
そしてそれは相手にとっても同じこと。
私は赤い糸を切った。
こんな糸があっても出会えなきゃ意味がない。
でもなんだか少しだけ、吹っ切れた気がした。
~赤い糸~
つい最近、
毎日やっていた唯一のゲームがサービスを終了してしまった。
発表がされてから終了するまでの期間、
不安で生きた心地がしなかった。
しかし、きっと次の場所へ発つ時なのだろう。
たとえその先で入道雲に突っ込むような困難があっても、
学んできたことを胸に強く進み続けなくてはならない。
それが私のするべき弔いなのだと思う。
※お題と関係なくてすみません
夏と冬だったら、断然夏の方が好きだ。
“寒いのは厚着すればいいけど、暑いのは脱いでも暑い”
なんて言い分をよく聞くが、
厚着をするというのは荷物を増やすことに等しいし、
「暑い」よりも「寒い」方が体に気を遣う必要がある。
それに私は「暖かい」よりも「涼しい」方が心地が良い。
極めつけは、夏は夜が寒くない。
夜空の下で散歩をするのが好きな私にとって、
冬場の夜は体にこたえる。
軽装でフラっと歩くのが開放的でリラックスできるのだ。
これ以上は長くなるので割愛するが最後に一言。
私は夏よりも秋の方が好きだ。
~夏~
自分は別の世界から来た存在かもしれない。
そう考えたことがある人は少なくないだろう。
荒唐無稽だがロマンのある可能性の一つだ。
ある日、本当の理解者が現れるかもしれない。
では実際どうなのか、
実のところそれを確認する手段はない。
過去の全てが捏造であることを否定できないからだ。
不慮の事故で記憶を失った漂流者か。
壮大なプログラムに組み込まれた実験台か。
あるいは電極に繋がれた水槽の脳か。
幾多の可能性が何重にも重なっている。
思考というものは人間の最も自由な機能であり、
決して揺らぐことのない尊厳だと考えている。
たとえそれがどんなに残酷な現実であったとしても。
~ここではないどこか~
何気なく出会ったあの日のように
その日も自然に別れただけ
積極的に会う関係でもなくて
タイミングが悪かったとか
そういう気分じゃないとか
何となく会う機会を逃していって
そのうち
会うには理由がいる関係になってしまった
実は好きだった?
なんてのは都合が良すぎる気の迷い
あの子に会いたいと思っていい資格はなかった
それから二度と会うことはなくなって
記憶も感情も曖昧になって
それでも偶にフラッシュバックする
なんでもっと優しくしてあげられなかったんだろうって
~君と最後に会った日~