オフィスから眺める夕景
まるで自由を模した絵画
機械的に行き来する有象
ただの辻褄合わせの背景
自室の窓から見える宇宙
鍵のかかっていない牢獄
稼動範囲が決まった生涯
蓋の無い窮屈な巨大棺桶
~狭い部屋~
「恋を失う」と書いて「失恋」。
昔からこの言葉に違和感があった。
告白したらフラれた。
好きな人に付き合ってる人がいた。
もう会えなくなってしまった。
失恋としてはよくある話だ。
しかし果たして恋は「失われた」のか?
「失恋」は英訳すると「heartbreak」。
「心が壊れること」を「恋を失うこと」とするならば、
「失ったもの」は何か?
おそらくそれは「成就できる期待」だろう。
前身できなくなった想いは不良債権のようなものだ。
今までと同じ気持ちで保有し続けることは正気ならできない。
期待がなければ心はあるべき形を保てないのだ。
つまり不良債権だとわかっていても放棄できない感情は、
「恋」という体裁を逸脱した「何か」だ。
逃避、執着、嫉妬、少なくとも純情などではない。
道を誤って閉ざしてしまう方が悲しいことではないか。
だからどうか、過去にいつまでも囚われないでほしい。
「失恋」という言葉は、
新たな「恋」を見つけるためにあるはずだから。
~失恋~
正直、自分の人生は嫌いじゃない。
今までこの場を借りて何度も愚痴ってきたけど、
それでもなんやかんや楽しく生きられている。
前向きに過ごしていれば心は穏やかになるし、
研鑽を積んでいけばいつかチャンスはあるはずだから。
たくさん躓いたけど人生まだまだこれから。
そのうち生きてて良かったと思える日がきっと来る。
だから明日からも頑張っていこう。
ところで話は変わるけど、
「正直」って言葉はすごいよね。
頭に付けるだけであたかも本心のように聞こえるもの。
~正直~
6月といえば梅雨を連想する人が多いだろうが、
私にとって6月は最も恐ろしい月である。
理由はもちろん梅雨ではない。
雨で不機嫌になることはないし、
雨続きでも気が滅入ることはないからだ。
傘をしたところで濡れてしまうズボンの裾や、
靴に水が染み込んでぐちょぐちょになった靴下も、
ある一つの過酷な現実と比べれば些細なことだ。
どうしてだ?
どうして6月には祝日がないんだ?
~梅雨~
「今日、雨降るってよ」
隣に住む同級生のあいつは、雨が降る日は必ず教えてくれる。
少しでも雨が降りそうなら欠かさずメッセをくれる。
べつに一緒に登下校する仲でもないし、なぜかはわからない。
お父さんがテレビで天気予報を見てる時に私も見るから連絡は正直いらないけど、なんとなく面白くて従ってる。
まあ、ただの荷物になることもけっこう多いんだけどね。
「あれ? なにしてんの?」
ある日、帰ろうと下駄箱に行くとあいつが外を眺めていた。
サーっと雨が降っていて、あいつはカバンだけ持ってて――。
この世の終わりのような大袈裟な声音であいつは言った。
「傘、忘れた……」
呆れた。
今日の予報は晴れのち雨で、私には予報を教えたクセに自分が傘を忘れるとか、なんてマヌケなんだろう。
さっさと帰ろうと靴を履き替えて外に出て、言われた通り持ってきていた傘を開いた。
……。
「いいよ、入りなよ。どうせ隣なんだから」
こんなところ誰かに見られたら誤解されるじゃん、ってキョロキョロしながらも恐る恐る傘に入る様子はなんとも女々しい。
……ああ、もしかして。
毎回雨予報を知らせてくれる理由がわかった気がする。
でも、こっちからは絶対に聞いてやらない。
だって私が意識してるみたいじゃん。
~天気の話なんてどうだっていいんだ。僕が話したいことは、~