愛があれば何でもできる
何でもできるなら愛がある
愛がないなら何でもはできない
何でもはできないなら愛はない
問:愛は“できること”で証明されるべきか?
~愛があれば何でもできる?~
例えば友達と遊ぶ約束。
寝起きで頭がぼーっとしている時は、
すっぽかしたい気持ちでいっぱいになる。
夢を見る方が絶対楽しいもの。
頑張って体を動かして友達と合流。
遊び回って夜遅くにようやく帰宅。
たまには息抜きも必要だけど、
正直、用が済んだら早く帰りたい。
なのにずるずる過ごしてしまうのはなぜだろう。
夢を叶える方が絶対楽しいのに。
~後悔~
流されるまま
知らぬ間に道は閉ざされて
見たかった景色は後の祭り
絶景を眺めにのぼり立ち
つま先半分突き出すも
やっぱり僕は僕のまま
でも風が背中を押してくれたら
自由になれるよ
~風に身をまかせ~
時間さえあれば何でもできると思っていた。
けれど、最も大切なものは心のゆとりだった。
不安や焦りは心の障害。
だから今は、
机でほっと一息つくこの瞬間を大事に思っている。
純粋にやりたいことに向き合い、
ゆっくり着実に積み重ねること。
でももう私が報われることはないだろう。
それでも抗い続けたい。
諦めの悪さは直せない。
私の好きな私でいたいから。
~おうち時間でやりたいこと~
私には夢がなかった。
楽観からの落ち着き故か「大人っぽいね」とよく評され、
なんとなく生きていたが、社会人になって思い知った。
「大人」なんてものは「子供」の延長線だ。
成人しているだけの大人。
大人ぶっているだけの大人。
子供だと思われたくない大人。
所詮はエスカレーター式に自動的に得られる称号だ。
結局は私も、嫌々社会に迎合するだけの未熟者だった。
私の思う大人はもっと格好良かったはずだ。
上手くいけば誉めてくれ、
失敗すれば手本を示し、
道を外しかければ優しく叱ってくれる。
そんな道標のような人間だ。
もっと早く気が付けばよかった。
私の夢は「大人になること」だったんだ。
~子供のままで~