うまれたとき
ねむれないほど
うれしかった
こどものとき
ねむれないほど
たのしかった
おとなになったとき
ねむれないほど
むなしかった
けっこんしきのひ
ねむれないほど
ふあんだった
としとったとき
ねむれないほど
かなしかった
おそうしきのひ
ねむれないほど
しあわせだった
これから
えいえんに
ねむることができるのだけれど
ねむれないほど
しあわせだった
先週から
夢と現実の間に落ちていた
挟まっていた
の方がただしいかもしれない
デパートの屋上にいたら
突然まわりが静かになって
なんだか
違う世界に来たんだとわかった
そこにも
学校や 郵便局や コンビニ
図書館や 公園や 名前のない道路
なんかがあって
たまに人影があるんだけど
追いかけると
いなくなっちゃうんだ
僕はずっと
そこをうろうろしていた
川の畔を歩いていると
いきなり 騒がしくなって
こちらに戻ってきてしまった
あちらでは
先週のことだったんだ
まさか50年も経ってるだなんて
こんなの夢だよね
現実じゃないよ
両親も亡くなって
僕がすっかり
年老いたホームレスだなんて
先週だったんだ
夢と現実の間に落ちたのは
もしかしてあちらが現実で
こちらが夢なのか
夢と現実の間って
いつも曖昧なんだ
ふゆしょうぐんのあしおとは
ぴと ぴと ぴとり
というおと
ひとりで
よなかにおきていると
きこえてくる
ぴと ぴと ぴとり
きこえると
ああ ふゆがはじまる
とかんじます
ぴと ぴと ぴとり
ほんとうに
ふゆしょうぐんだよね?
おばあちゃんにきくと
そうおもってたほうがいいね
といわれました
だからいまも
ふゆしょうぐん
だとしんじてます
ぴと
ぴと
ぴとり
ふゆのはじまり
かれがくると
くうきが
ひんやりします
ぴと
ぴと
ぴとり
僕の妻は
愛情を注ぐのが得意です
庭の薔薇も
部屋の文鳥も
ベランダにいる蜘蛛にさえ
日々愛情をかけていました
薔薇も見事でしょう
だけど
お見合い結婚した
夫の僕には
愛情が注げないの
と言いました
したがって
僕等には
子供が出来ませんでした
僕は妻に
触ることができなかったものですから
でも
周囲は子供を期待しました
どちらも良家の人間ですから
期待は相当なものでね
妻は日に日に憔悴していって
もう限界だったんだと思います
だから
妻が子供を何処かから連れてきた時も
僕は咎めなかったんです
子供たちはみんな
愛情が足りない顔をしてましたから
刑事さんが
うちの地下室で
大勢の子供を見つけた時
ちょっと嬉しかったんです
彼等は愛情を注がれて
涙を流していたでしょう
妻が薔薇と同じように
水を溢れるほど与えて
美しい部分だけ残るように
剪定していましたからね
ああやっぱり妻は
愛情を注ぐのが上手だなぁ
なんて思いました僕は
あとね
もしかして ですけど
子供がいなくなれば
妻の愛情は
僕に注がれることがあるかもしれない
って思いましたから
ちょっと嬉しかったんですよ
妻は
愛情を注ぐのが上手なものですから
ちょっと愛情が
溢れてしまうこともありますけどね
平和を買ってきた
友人Aが
電話でそんなことを言ってきた
それなら見てみよう
と思いたち
ソファにかかっていた
生成りのセーターを
とりあえず着て
友人A宅へ向かう
部屋に入ると
Aは 暖房の効いた部屋で
なにやら小さな箱の前に立ち
難しい顔をしている
開けよう と言うと
問題があるんだ とAが言う
これ 二千円だったんだよ
平和が 二千円なんかで買えるかよ
騙されたんだ
Aは勉強ができるが
僕は
彼が馬鹿なんじゃないかと
時々おもう
2人で箱を開けると
中は空だった
やっぱりな
友人は肩を落とした
そのとき Aの電話が鳴る
Aの彼女かららしい
どうやら電話の内容は
長引いていた喧嘩を
終わらせよう とのことだ
もしかして
平和ってこのことかな
スマートフォンを置いて
Aがポツリと言う
まさか と僕
じゃあさ
もうひとつ平和が売ってたんだよ
2000000000人の命と引き換え
って言う値段のやつ
もしかしてあれ買えば
今起きてる戦争も
終わるんじゃないか?
僕は時々
Aは勉強はできるが
すこし馬鹿だとおもう
2000000000人を犠牲にして
得た平和を誰が喜ぶだろう
悩むAを前に
僕はセーターの柄を
ひたすら なぞっていた
セーターには
opfer の文字が編んであった