「今日、デパコス見に行かない?」
化粧直し中の同僚――歩美から声をかけられた。歩美とは同期入社で、会った時から気が合って、プライベートでも時々遊ぶ仲である。
私はポーチから高級ブランドのロゴのついた口紅を取り出し、塗りながら返事をした。
「いいね。そろそろクリスマスコフレ出揃ってるよね。今日の会議、早く終われそう?」
「舞は本当、クリスマスコフレ好きだよね~。会議は余裕!ちゃんと偉い方々に根回ししてあるので、大丈夫でーす」
「さすが。じゃ、午後もがんばろ!」
ティッシュを咥えて余分な口紅を落とし、鏡に映る自分を見る。
よし、完璧。
女子トイレを出て、歩美が手を振り離れていく。
歩美はフワフワした雰囲気によらず、賢くて強かな女である。
きっと私にも見せない本心があって、打算で付き合ってくれているのだろうと思う時もある。
けれど、不器用な私と違う、そんな彼女が好きだったし、憧れもあった。
終業後、会社の更衣室前で待ち合わせをし、百貨店に向かう。
目的の百貨店は自宅から反対方向、会社から地下鉄で2駅のところにある。
「舞、今日は晩ごはんどうする?」
「うん、雅も会社の人と食べてくるって言ってたから、一緒に食べよう」
私には婚約中の彼氏がいる。
もうすぐ同棲して1年経つが、いつ結婚するのかは決めていない。仕事が忙しいようで、休日も出勤することが多いため、式場探しもできていない。
百貨店に到着し、お気に入りのブランドの、顔馴染みの美容部員からクリスマスコフレを購入する。
この時期になると各ブランドからクリスマスコフレが販売される。童話をモチーフにしたり、宝石をイメージしたりした、特別なパッケージが用意されており、全てのブランドを買い揃えたいくらい可愛らしいと思う。買う時も、『使う用』と『飾る用』と2つ買いたいと思ったことがある。
歩美に言わせると、私はクリスマスコフレコレクターなんだとか。
一応、毎年3個までと決めて購入しているので、実際にコレクションはしていないつもりだ。もちろん、使い切れる量ではないので、年々増えてはいる。使うたび、見るたびに癒される、私の大切なものだ。
「あっちも気になるんだけど、見ていっていい?」
「うん、いいよー」
パッケージが気になっているクリスマスコフレがあったが、アイシャドウの色が私似合わない。以前、雅に指摘されたことがある。
「残念だけど、やめておこうかな…」
「じゃあ私、これ買います!」
歩美が横から返事をする。
これ、歩美の趣味だっけ?と少し疑問に思ったが、本人が買いたいならいいか、と気に留めないことにした。
買い物が終わり、百貨店近くのイタリアンレストランへ向かう。
道中、他愛もない話をしていたが、突然、歩美が立ち止まり、表情が険しくなる。
いつもニコニコしているので、突然のことに戸惑った。
「どうしたの?」
「……舞、雅さんって今日どこにいるの?」
「え、何で…?今日は、会社の人と食事って…」
歩美の視線の先には、雅によく似た男性と、少し若い女の子が食事をしている姿があった。
「舞、あれ不倫だよ」
歩美が確信を持って宣言する。
あれは、本当に雅?どうしよう?どうしたらいい?何をするべき?
頭と耳が遠くなる感覚に陥る。何か言われているのに、全然頭に入ってこない。
何度か歩美に同じ説明をしてもらったと思う。
どうやら歩美は過去にもこの現場を見ているとのこと。跡をつけてホテルに入っていく姿も見たのだとか。
こういう場合って、しばらく泳がせて証拠を集めるのがいいんだっけ。結婚してなくても、慰謝料とかもらえるんだっけ?私ってもう29歳なんだけど、別れて次を見つけられるのかな?
「…今日帰ったら、聞いてみるよ」
「だめ。今から行こう。私が付いてくから」
「でも、何言っていいか分からないし、シラを切られるかも…証拠だってないし……」
歩美が少しため息を吐いた後、いつになく柔らかい笑顔を浮かべ、言った。
「証拠なら、私のスマホにあるよ。写真撮ってあるから」
さすが。
「でも、突然知ったことだから、別れる決心がつかなくてて…」
「……分かったよ。舞の気持ちが落ち着くまで待とう」
食欲もなくなったため、イタリアンレストランはやめて、近くのカフェに入る。
温かいコーヒーを飲んで、気持ちが少し落ち着いてきた。
歩美は今年の四月に初めて目撃したようで、ずっと私に言えずに悩んでいたようだ。休日にも見かけたことがあり、怪しいと思って跡をつけたら、黒だったとのこと。その後も何度か目撃しているとか。
今日も、もしかしたらと思って、私を誘ったらしい。今まで隠していたこと、楽しい気分を壊すような教え方になって、申し訳ないと、謝罪された。
――雅とはそろそろ、潮時だったのかもしれない。婚約して長いのに、結婚の話も進まない。私の両親には挨拶は済ませているため、いつになるか聞かれるが、雅に伝えるとはぐらかされる。
やっぱり、別れよう。
「歩美、お願い。今日、ちゃんと雅と話そうと思う。写真、もらってもいい?……本当は不安だから、付いてきてもらいたいくらいなんだけどさ…」
「うん、任せて。今日一緒に舞の家で待とうか?明日は土曜日だし、遅くなっても大丈夫だよ」
「ありがとう」
そうして、舞の自宅に帰り、雅の帰りを待つ。日付が変わる頃に雅は帰ってきた。
「ただいま。あれ、誰か来てるの?」
「お帰り。歩美が来てるの。私、雅に聞きたいことがあるんだけど」
雅の表情が強張るのが分かった。
「明日も仕事なんだけど、明日帰ってきてからにしてよ。歩美ちゃんも、そろそろ帰った方がいいよ」
微笑みを浮かべた歩美が、雅に尋ねる。
「明日の仕事は、不倫相手とですか?私、写真もありますよ?」
歩美がスマホの写真を見せつける。
じろりと雅に睨まれた。
私も負けじと雅を睨み返す。
「私、不倫する人とは結婚できない。別れよう」
雅は、諦めたようなため息を吐いた。
「俺も、もうお前に愛想尽きてるんだよな。大体、化粧濃いし、金遣い荒いし、似たような化粧品ばっかり買って、もう付き合いきれねーよ」
そういって毒を吐き、歩美を一瞥して、友達も友達だよな、と呟く。
その時、歩美の手が、雅の頬を叩いた。
「舞を馬鹿にしないで。後日、弁護士通して連絡するので、早く出ていって下さい」
雅は、分かってるよ、と怒鳴り、財布とスマホを持って出ていった。
激しくドアが閉まる音の後、静寂が流れる。
「……歩美、ありがとう。まさか、叩くなんて思わなかったよ」
私がくすりと笑いながら言う。
「ふふ。もー我慢できなくて。叩いて清々した」
歩美も笑いながら答える。
「舞は、私の憧れなの。いつも堂々としてて格好いいってゆうか…。好きなものを貫き通す所とか…。だから許せなくて……。」
そう伝えた後、これ、と言って歩美が買ったクリスマスコフレを差し出してくる。
「少し早いけど、クリスマスプレゼント。今日のお詫びに…。舞、こういうの好きじゃなかったっけ?」
目頭が熱くなった。
雅と暮らし始めて、好きなものを素直に好きだと言えない自分になっていた。結婚って、そういうことなのかな、と諦めていた。
だけど、私が本当に大切にしなきゃいけないのは自分自身で、それを好いてくれる家族や友人なんだと、気付いた。
「……ありがとう。大切にするね」
# 宝物
この女、どうしてくれようか。
長年の恨みを込めた目で、横たわる女性を睨む。
この女は、僕の母親だ。
といっても、母親らしいことは小さい頃に少ししてもらったぐらいだ。
僕は小学生の時から児童養護施設で過ごした。3つ年の離れた弟も同じ施設だったが、別々の建物で暮らしていた。
父は仕事人間で、ほとんど家にいなかったが、時々遊びに連れていってくれたことはよく覚えている。
鉄道好きの僕と弟、鉄道に詳しい父。
父との思い出は楽しいことばかりで、僕は父のことが大好きで尊敬していた。
母は父がいる時だけは機嫌が良かったので、きっと父のことが好きだったんだろう。
弟に内緒で、僕の好きな新幹線、はやぶさを父と見に行ったことがある。
その話をこっそり母にしたら、次の日、僕にはやぶさのおもちゃを買ってくれた。とても嬉しくて、その日は眠れなかった。
次、父に会ったときに、母に買ってもらったおもちゃを見せよう。布団の中でそう思った。
しかし、その思いは叶わなかった。
母が、父を刺したのだと、警察に聞かされた。
大きくなった今、ようやくまともに理解できたことだが、父には別に妻がいて、母は愛人、僕たち兄弟は婚外子だったようだ。
痴情のもつれ、それで母は父を刺したのだとか。
父は生きていたらしい。
しかし、僕たちは父と関わることはできなかった。父の妻がそれを許さなかったからだ。
母は懲役5年の刑期だった。
釈放されて数年、僕たちを迎えに来ることはなかった。
それが、僕が15歳になる時に突然迎えにきた。「一緒に暮らそう」と。
きっと、僕が働ける年齢になったからだろう。その証拠に、弟も15になったら迎えにいく、と言っていた。
僕は、弟と暮らしたかった。弟と父の話をしたい。弟と、父を訪ねてみたい。3年…きっと我慢してみせる。
そして今年が、弟が15歳になる年。
母に、いつ弟を迎えにいくのか聞いたら、
「このまま、二人で暮らそう。違う土地にでも行こうか」
母は笑顔でそう答えた。
僕の頭の中でプチッと、音がした。
弟を見捨てるつもり?
父と僕を引き離して、たった一人の兄弟とも引き離す?
母が父を刺していなければ、父とも弟とも離れることはなかったのに!
気付くと、母が横たわっていた。
テーブルで頭をぶつけたのだろう。
意識はないようだ。
僕がそうさせたのだろうか。
鼓動が早くなり、手が震えているのがわかった。
そのくせ頭は妙に冷静だった。
ちょうどいいから、このまま復讐をしよう。
家族をバラバラにしたのだ。
この女の手と脚を、バラバラにしてしまおう。
脱力した女をお風呂場に運びこんだあと、僕は四肢を切断できる刃物を探すために出掛けた。
近くのホームセンターに到着する。
青みがかった緑のホームセンターの看板が目に飛び込む。
その色は、僕の好きだったはやぶさを思い出させた。
父との思い出とともに、母におもちゃを買ってもらったこと思い出す。
あぁ、あの頃は幸せだったな…。
母は息をしていなかったから、もうダメかもしれない。
胸がキュッと締め付けられた。
怒り、喜び、幸福感、罪悪感…ぐちゃぐちゃになった感情が入り交じり、溢れ、涙がにじんだ。
看板の緑色が僕の視界いっぱいに広がった。
# はなればなれ
今日から、初めての同棲が始まる。
一目惚れした彼女とだ。
大学から一人暮らしをしている僕は、そのまま実家へ帰らず、都会に就職した。
社会人になりたての頃は、大学の友人と遊んだり、同期と飲んだり、上司との付き合いに呼ばれたり、割りと忙しく過ごしていた。
でも、苦手意識からか、誘いを断ることも増え、また、友人も結婚していき、今では職場と家の往復だけである。
周りが結婚していく中で、もちろん焦りはあった。
合コンに誘われれば参加をしたし、いわゆる婚活パーティーにも参加をしたことはある。
その中で付き合う人もいたが、長続きはしなかったし、付き合うことや結婚を前提とした会に参加するのはどこか違うと思ってしまい、結局やめてしまった。
これといった趣味もないので、今では家でSNSや動画を見るなど、一人で過ごすことが多かった。
実家は遠いので年末年始に帰省するだけだが、親から結婚の催促があるし、姉は夫と子どもを連れてきて、忙しそうだが幸せそうで、何となく居心地が悪い。
孤独だ。
僕がそれを特に実感したのは、たまたま見ていたSNSで彼女の存在を知ったから。
無邪気な彼女に、一目惚れをした。
彼女がそばにいたら、どれだけ癒されるだろう。
彼女がそばにいたら、毎日がどれほど充実するだろう。
そんな妄想をするようになり、今の生活に孤独を感じていることに気付いた。
彼女に心を奪われた僕は、そのSNSの投稿者に連絡を取った。何度かやり取りをして、彼女と会わせてもらうことができた。
幸いなことに、彼女も僕に興味を示してくれた。
…それから色々あって、今日に至る。
彼女と暮らすために、引っ越しもした。家賃も高くなったし、職場からも少し遠くなった。
彼女のために、たくさん買い揃える物もあった。
それでも、頑張れた。家に帰れば彼女がいる。そんな生活を思い描いて。
今から、彼女が家に来る。
そしてここが、彼女の家になる。
僕は決意をして、彼女に挨拶する。
「ようこそ、これからよろしくね」
彼女が丸い目で僕を見つめながら、小さい体で目一杯、返事をしてくれた。
「にゃあ!」
# 子猫