私は金平糖が好きだった。
味というよりも、その存在感が好きだと言うべきだろうか。漠然とその親しみやすさが好きだった。
子供の頃、金平糖の綺麗さに目を奪われていると、いつの間にか母には金平糖が大好物だと思われていたらしく、毎週末の買い出しついでに、金平糖が入った小さな小さな小瓶を買い与えられていた。今週は白と水色、今週は白と紫色。というように、まばらに与えられた金平糖の色が変わっていった。
小さな私は、その色付きの金平糖と、必ず入っていた白い金平糖を1個ずつ残して、別の小瓶に詰めていった。
次第に鮮やかに重なる金平糖、まるで極小の瓶の中に果てのなく広大な宇宙を閉じ込めてしまったかのようで、瓶のかさが増す度に、自己満足という名の私の心が満たされていく。
宇宙と私が逆さまになったようだ。手元に収まるサイズになってしまった宇宙の広大さが、愛おしくて堪らない。
(2023/03/16 お題:星が溢れる)
君と過ごす時間が愛おしく感じるようになったのはいつからだろうか。
初めて出会った春の日か、親しくなった夏の日か、拗れた秋の日か、はたまた、あまりの寒さに笑いあった冬の日か。
しかし、君と僕は友人で、彼に対して恋なんて浮ついた気持ちは微塵も感じていなかった。いくら思い返しても思い返しても、彼に愛おしさを一抹も見いだせないのがいい証拠だ。
アナログテレビや漫画越しにしか見ることが出来ずにいた、友情という概念が僕は羨ましくて仕方なかった。田舎で育ち、同年代の子がいなかった農村地帯で育ったために当時居た僕の友達なんて角が大きかったカブトムシくらいのものだった。
それだから誰かと過ごす時間に淡く期待を抱くのだ。
まるで友情に恋をしているような、そんな腑に落ちない感覚が僕の心中にしこりを残している。
(2022/07/25 お題:友情)
日本という国は、たかが太陽と地球の絶妙な距離や角度の差異で、見事な変化をもたらす不思議な国だ。地球が太陽の周りを廻るまでの期間を一年と考え、さらにその中でも四つの季節に区切り、春夏秋冬と銘打ったのだ。
日本人という人々は、季節が好きな人々だ。一つの四季に冠する言葉だけでも数百と使い切れないほどの表現を作るし、四季に沿った流行がすぐさまに流れ始める。それこそ、地球が太陽の周りを公転するようだ。
春が来れば暖かく花が咲く。夏が来れば暑く海が鳴く。秋が来れば涼しく紅が照る。冬が来れば寒く雪が降る。そして再び春が来る。
この国で観られる豊かな色合いはまさに、四季彩、と呼ぶのにふさわしい。
(2022/07/24 お題:花は咲く)
もしもタイムマシンがあったのなら、今日になるまで僕は何回とマシンを使うのだろうか。
マシンを使って特定の行動を起こせば、未来が多少なりとも変化するだろう。自分に不都合な真実を捻じ曲げると、変化していくその過程でささくれが出来て、それを抜くためにまた過去へと逆行する。生き方が下手くそな人間ほど、過去に戻ろうと足掻くのだと思う。
ここに立つ僕は、既に何度も逆行を繰り返して存在している世渡り下手な僕なのかもしれない。
(2022/07/23 お題:もしもタイムマシンがあったなら)