一年どうだったと聞くと、印象に残ったことから語る君。一月から順々に語る君。友達と行ったイベントを軸に語る君。
語り口も、起こったことも、何もかも違う。
だけどどれも楽しそうで、追体験してるみたいで、ちょっと楽しい。
いいなぁ。
「アンタはどうだったのよ」
みんなの話を聞いた後だと気後れしちゃう。
でも、うん。
「私はね」
そう思い出の引き出しを開いた。
一年間を振り返る
買ったみかんが傷んでいた。
買う時によく見なかったのがいけないと傷んだ部分をカットした。
こういう場合はさっさと食べてしまうに限る。
これで傷んだみかんは無かったことになる。それに腐る一歩手前は不思議と美味しい。
他の食品を冷蔵庫に押し込めるとこたつに向かう。まだ口の中がみかんの味がした。
みかん
寒くて短いやすみ。
それが冬休みだ。
寒いのが嫌いな私にとって有難いやら余計なお世話やら。
どうせならば学校でもある方が諦めて外に出る気になれる。だが休みと言われたら出たくもないのだ。
幸いなことに家でやれることはたくさんあった。暖房のついた部屋であまり楽しくないことをやる。
やっぱり学校の方がいくらかマシに思えてきた。
冬の休み。
冬眠も出来ない日々にゆっくりと消化されていく。
冬休み
三つの時である。
あまりの煩わしさに買ってそうそう片方を紛失したらしい。
四つの時である。
近所の大学生のお兄さんに手ぶくろ可愛いねと褒められて大切につける様になった。余程嬉しかったのだろう。嬉しすぎて春がきてもつけて母親を困らせたそうだ。
五つの時である。
流石に去年の柄と色を詳細に覚えていなければ新調せねばならない。それでも何かが違うと怪訝な表情であった。怪訝にしているがつけなければ手が冷たいと覚えせっせと指を通した。
六つの時である。
つけないと寒いがつけないのがかっこいいなどと言う謎のプライドが芽生えた。あのプライドは当時しかわからないのだ。
それからはつけたりつけなかったり。
社会人になる頃には防寒兼ファッションだ。
だがいざ子持ちになれば子供用手ぶくろの可愛さで納得する。大人が揃いも揃って自分につけさせたがっていたことを。もっとてけてあげれば良かったと今更になって痛感した。
手ぶくろ
人が変わっていくのは当たり前で当然なのだ。
変わっていないと言うのならば、見落とされるほどの些細な変化である。変わらないものなど、何一つとしてない。
ただその変化を楽しみたい。
蕾がある日突然花開く様に。白い反物に何度も染料を浸して色を定着させる様に。
弾ける様な感覚。ため息が出るほどのグラデーション。
変化を見届けることは、恐ろしいほど一瞬かと思えば微睡むほど緩やかである。
変わらないものはない