064【力を込めて】2022.10.07
な、なんということだ……みわたすかぎり、地平線の果てまでぷちぷちシートがひろがっているとは。
湯河原国宏が、ランプの魔神の問いかけに対して、「子どものときから、ぷちぷちをつぶすのがどうしようもなく好きだ」ということを想起していたのは否定できない。そして、夢中になってぷちぷちをつぶしていた幼いみぎりの自分を回想して、あれはなんと楽しいひとときであったか、と恍惚としたのもたしかであった。
それらの想念の合間に、刹那、「つぶしてもつぶしても果てが無い無限のぷちぷちが欲しい」という願望がひらめき、よぎっていたとしても、なんの不思議があろう。
しかし、だ。だからといって、それを直ちにかなえるだなんて、そんなヴァカなヤツがいてたまるかよッ!
力を込めて眼下のぷちぷちをつぶしながら、湯河原はいきどおっていた。たのしいかって? たのしくないわけがないだろう! といきどおりながらも夢中になってつぶしていた。とはいえ、どこまでつぶしても果てがこない大量のぷちぷちに、さすがに指が痛くなってきたのも事実である。
ならば、だ。ふたつ目に魔神に願うとしたら、いくらぷちぷちをつぶしても痛くならない指、か?
湯河原は困惑した。困惑しながら、なおも指に力を入れてぷちぷちをつぶしつづけていた。
結局、なんだかんだいっても、つまりは、単純に、ぷちぷちをつぶすのが、好きで好きでたまらなかったのであった。
063【過ぎた日を想う】2022.10.07
老人は病床で、過ぎた日を想うことが多くなった。なかでも、若くしてこの世を去った最初の妻のことを、頻繁に思い返すようになった。
二十代という、人生の花ともいえる季節に結核で死なねばならなかった彼女のことを、ずっとあわれだとおもってきたが、いまこうして、己もいつおむかえがきてもおかしくはない境遇になってみれば、長く生きることも短くしか生きられなかったことも、おなじ一刹那、あたえられた命を生き切ったことにはかわりなく、あわれとおもうことこそが傲慢であった、と嘆息された。
そして、すでに過ぎた八十余年の生も、病魔と衰弱で残りいくばくも無いであろう生も、等しく同じ重さをもつのであれば、笑顔を重ねてぞんぶんに味わい尽くしてやろうではないか、と貪欲な気持ちすらわいてくるのであった。
062【星座】2022.10.05
秋の夜空はさみしい。
それは、一等星をかかえる星座があまりにもすくなすぎるからだ。
だけど、そんなさみしい星空だから。
虫たちの声が星のようにきらめいてきこえるのかもしれないよ。
氷ったペットボトルよりも、熱い飲み物のほうがうれしい季節になってきたね。と、アンドロメダ星雲にむかって天体望遠鏡をかまえる君に。私は熱い紅茶を水筒から注いで手渡した。
061【踊りませんか?】2022.10.04
風が木の葉をさそいました。
「踊りませんか?」
木の葉がこたえました。
「ごめんなさい。わたし、まだきれいなドレスをもっていないんです」
しばらくしてから風が木の葉をさそいました。
「すずしくなってきましたね。踊りませんか?」
木の葉がこたえました。
「ごめんなさい。わたしのドレス、まだ染まりあがっていないんです」
またしばらくしてから風が木の葉をさそいました。
「ひえこんできましたね。踊りませんか?」
木の葉がこたえました。
「ええ。よろこんで!」
そしてそのまま木の葉は、めもさめるような黄色いスカートをひらひらさせて。
風とともに踊りながら、つぎつぎと何処かとおくへとんでいきました。
あとにのこったのははだかのいちょうの木。
風と木の葉のおしゃべりにさっきまで耳をかたむけていましたが。
つぎの春のめぶきのために、もうねむってしまったようですね。
060【巡り会えたら】2022.10.03
もう地球上には人間はほとんどのこってないらしい。自動操縦の殺人マシーンを駆使した世界大戦を生きのびることができなかったか、宇宙船に乗って地球から脱出したか、どちらからしい。
それでも誰か生き残りに巡り会えたら、とおもい、きょうも僕は、僕がここに滞在していた、という痕跡をのこしながら旅を続けている。
せめて、宇宙からとんでくる電波を受信できたら、生き残りに出会える可能性は高くなるのかもしれないけど。人類は、子どもにいたるまで、情報端末のあつかいには高度に習熟していたのに、機器そのものをつくることは、すっかりロボットにまかせてしまっていて、まったくもって疎く、無知ですらあった。
なんたることだ。そのつけがいま僕にまわってきているとは……僕は、僕たちの文明のあり方が、よかれとおもってじつは偏っていたことを、うらんだ。