「お嬢様、お茶の時間ですよ」
「あら、もうそんな時間?」
西洋風の屋敷の裏にあるお嬢様のお気に入りの庭園に、ティーポットとティーカップを持っていく。午後3時になると、お嬢様は必ずティータイムを取るため、彼女の専属執事である俺はその時間にお茶の準備をするのだ。公爵令嬢である彼女の屋敷はかなり広く、その一部である庭園もかなり広い。いつもは部屋で召し上がっているが、ここでお茶するのもいいのではないかと考えながら、金糸の髪を靡かせる女性を見つけ、声をかけた。
「今日は天気がいいですから、こちらの庭園で召し上がりませんか?」
「いいわね、そうしましょう! 今日のお茶はなあに?」
「この間、旦那様が仕入れた隣国の有名な茶葉ですよ」
「やった! それ、飲んでみたかったのよね」
ふふ、と柔らかく微笑む彼女に、こちらまで嬉しくなる。公爵に頼み込んで、お茶を分けていただいた甲斐があった! 顔がにやけるのを抑えながら、ティーポットにお湯を入れる。椅子に座ったお嬢様が、興味深そうに俺の手元をみていた。
「いつ見ても手際がいいわね。あなたのお茶は何でも美味しいのよね」
「ふふ、ありがとうございます」
頑張って練習したので! とは言えないが、褒められたことに舞い上がる。さっとお茶の準備が終わらせ、彼女の前にティーカップを置く。音を立てないように気をつけて。
「いい香りね」
「そうですね、こちらまでしっかり香るくらいです」
お嬢様の横に立つ俺のところまで、ふわりとお茶の香りが漂う。あ、これお嬢様の好きなタイプの香りだ。ということは、きっと気に入ってくれるだろう。現に、彼女は菓子を摘みながら夢中でお茶を楽しんでいる。
「あら、もう無くなってしまったわ。……お代わり、もらえないかしら?」
「はい、少々お待ちくださいね」
ティーポットを手に取ってお茶を淹れる。相変わらず、お嬢様は俺の手元をじっと見ている。少しの間そうしていたかと思うと、突然顔を上げ、ふわりと微笑みながら俺に言った。
「あなたが淹れるお茶、いつも私の舌に合うのよね。私、あなたのお茶無しでは生きていけないかもしれないわ」
「…………!?」
お嬢様の爆弾発言を遅れて理解する。顔にじわじわと熱が集まるのを感じる。顔は赤くなってないだろうか。やっぱり俺の婚約者は可愛い。
お嬢様はぽかんとする俺の顔をにこにこ見つめていたが、手元に視線を戻した途端に慌てたような表情をする。
「お茶! お茶が溢れちゃってるわよ!」
「え? ……ぅわ! 失礼致しました!」
ティープレートどころかテーブルまで染みている紅茶を慌てて布巾で拭き取る。
「あなたもそんなミスするのね」
カラカラと笑う彼女に、別の意味で顔が赤くなりそうだった。
その日の夜、彼女の父である公爵に呼び出され、彼の執務室を訪れる。用事なんて予想ができる。執務室をノックし、中に入って豪華な皮のソファに力が抜けたようにどさりと腰掛ける。向かいに座る公爵はニヤニヤとした顔で話しかけてきた。
「昼間の庭園の件、見ておりましたぞ、王子殿下。あなたもそんなミスをするのですな」
「それは彼女にも言われた。いつもはそんなミスしない」
「はっはっは。仕方ない、私の娘は可愛いですからな」
「同感。俺の婚約者は可愛い」
「ちょっと! 私の娘ですぞ!」
権力を振り翳して、彼女の執事になった甲斐があった。
『溢れる気持ち』
まるで紅茶のように。
家の後ろの方にある、木や草が生い茂る山に、1本の立派な木があった。子供どころか、大人ですら手を広げて囲っても何人も必要だ。そのくらい幹が太く、枝も大人の胴体くらいありそうな、樹齢百年は下らないだろう木だった。
その木の枝や葉が日光を遮っているらしく、その木の下は薄らと緑があるだけで草が生えておらず、ちょっとした円状の広場のようになっていた。
放課後、いつも連んでいる幼馴染たちに、今日は用事があるからと遊びの誘いを断られた俺は、ランドセルを部屋に放り投げると、家の後ろの山に探検に出かけた。親からは入ってはいけないと散々注意されているが、好奇心には勝てない。ダメだと言われれば尚更だ。
そうして草を分けてまっすぐ進むと、大きな木があった。
「うわ……!」
あまりの大きさに上を見上げると、空を覆うように広がった葉の間から少しの木漏れ日がキラキラとしていた。家の近くにこんな木があったなんて、とキョロキョロと見渡す。すると、俺がきた方向とは逆方向の木の枝に、ブランコが風に揺られているのを発見した。
丸太を縦半分に切り、断面を削ったものを、大きな木からロープでぶら下げているだけのシンプルなものだった。ずっと使われていなかったのだろう、砂埃に塗れている。
誰が作ったのだろう、乗れるのだろうか? 俺はブランコに近づき、砂埃を手で軽く払って、丸太に座ってみた。ギシィ! と盛大に軋む音がなるも、落ちる様子はない。恐る恐る、地面を蹴ってブランコを漕ぐ。老朽化でギシギシ音が鳴るが、まだ現役だった。ぐんと空中へ漕ぎ出すたびに木漏れ日が近くなり、それが面白くて夢中で漕ぎ続けた。
しばらく漕ぎ続けていたが、不意に母の自分を呼ぶ声が聞こえ、途端にお腹の虫が鳴り出した。当たりを見回すと、少し薄暗い周囲が、さらに薄暗くなってきている。探検もここで終わりか、と家に向かって歩き出した。明日、学校でこの木とブランコのことを話そうと心に決めて。
「懐かしいな」
くたびれた中年の俺は、またその木までやって来ていた。俺がきた方向とは逆、幹の裏を覗き込む。
「お、あったあった」
そこには、記憶と変わらないシンプルなブランコが風に揺られていた。この木とブランコを見つけた次の日、幼馴染たちに自分の発見を自慢したくて、学校に着くと早速その話をした。得意げに、その木とブランコの場所まであいつらを案内し、あれよあれよという間に、俺とあいつらしかしらない秘密基地になっていた。
社会の荒波に揉まれ、あの頃の気持ちを忘れていたが、この木を見るとあの頃のワクワク感が戻ってきたかのような感じがした。久しぶりにいい気分だ。
長い間感じることのなかった、ブランコに乗りたいという気持ちが湧いてきた。
「よし、乗ってみるか!」
あの頃より少し小さく感じる丸太に腰掛ける。ギシィ!と音が鳴るのは昔と一緒だ。しかし。
ブチブチっ!
「うわっ!」
あの頃とは違い、老朽化と成長した俺の体重のせいで、丸太を支えているロープが引きちぎれた。痛めた尻をさすりながら起き上がる。
ブランコのロープの片方は完全に引きちぎれ、もう片方も半分ほど千切れていた。もう乗れなさそうだ。
「はは、お前も歳を取ったな」
俺が歳を取ってくたびれたように、ブランコも同じ時間を歩んでいた。
『ブランコ』
俺にとってはもう1人の幼馴染だった。
とある世界のとある村に、とある青年がいた。剣と魔法、人間と魔物が存在するこの世界で、彼は魔物が村人たちを襲っていることにとても憂いていた。
自分の前にも魔物が出現れた。なんて凶悪な姿だろう、このままでは自分も襲われてしまう。咄嗟に掴んだものは、なんてことないただの枯れ木の棒だった。しかし彼はこの棒で死に物狂いで闘い、「生」を勝ち取った。
この出来事をきっかけに、青年は魔物を統べる魔王を倒す旅にでた。村を出て、王都で信頼出来る仲間たちに出会い、南の海で海賊を倒し、東の火山でドラゴンと友達になり、北の大地で魔物を倒し街を救い、西の森で勇者の剣を手に入れた。
そんな紆余曲折と数多の冒険を経て、ついに彼は魔王を討ち取った。そして国から勲章をもらい、綺麗なお姫様と結婚し、幸せに暮らしたとさ。
彼の冒険は、伝説として後世に語り継がれた。
それから数千年後、子供はパタリと本を閉じた。よい冒険劇だった。ドキドキワクワクが止まらない。1番お気に入りのシーンは、やっぱり魔王を討ち取るところだろうか。僕もこんな風に世界を救ってみたい!
「お、こいつ人形なんか持ってるぜ!」
「やだ、返してよ!」
家の外から、この辺では有名な、体の大きな男の子が、女の子から人形を取り上げた声が聞こえてきた。ふと視線を落とし、今まで読んでいた勇者の伝説が書かれた本を見る。子供は立ち上がった。手に持っているものは勇者の剣、ではないが、何かできることがあるだろうか。
とある世界のとある街に、とある男がいた。科学が発展し、生活を豊かにしているこの世界で、彼は優しい両親のもと、伸び伸びと成長していった。そこそこの大学をそこそこの成績で卒業し、そこそこの企業へ就職した。可愛い恋人もいて、その彼女とは20代半ばくらいで結婚した。プロポーズするときは緊張したけれど、妻が泣いて喜んでくれたときは俺も嬉しかったな、と目を細めた。
息子を授かり、俺がこの家庭を守っていくのだとやる気が募ったその矢先、30代入ったところで、彼が病に侵されていたことが分かった。それは早期発見で治る病気だったが、彼の場合はもう病状が進んでしまっていた。
仕事を辞め、手術とリハビリを繰り返す闘病の日々。医者に入院を勧められて数年、ついに身体が思うように動かなくなり、近々訪れるだろう最期を悟った。妻と子が彼の横で泣きながら自分を呼んでいる。彼女たちと過ごした時間を思い返し、幸せな人生だと微笑んだ。それが、彼の最期の記憶だった。
熱を失う父の姿に、彼は決心をする。長いようで短かった父の闘病生活は、どんなに辛くとも諦めていなかった。父のような人を助けたい。こんな結末を迎える人を1人でも多く減らしたい。
将来、多くの人の命を救う名医の「始まり」だった。
『旅路の果てに』
勇者の魔王を倒す旅は、子供に「勇気」を与え、
父の「人生」という旅は、息子に「きっかけ」を与えた。
それは、小学校の卒業を間近に控えた、冬の終わりのことだった。
「俺、引っ越すことになったんだ」
好きな人からそう言われたのは、私にとって世界に大きな隕石が落ちるのと同じくらい強烈な衝撃だった。
彼の父は所謂「転勤族」というもので、日本各地を転々とする生活を送っていた。この辺に引っ越してきたのも1年前くらいだ。1年も住むのはかなり珍しいようで、普段は3ヶ月〜半年で引っ越してしまうようだ。と、後から母から聞いた。
薄々そうなるのではないかと、幼いながらに大人の事情を感じ取ってはいた。しかし、いざ実際に言われてみると、小学生の私は受け入れることができず、やだ、やだと言いながら泣くことしか出来なかった。困り切った彼が、「君はスマホを持ってないし、よかったら文通しない?」と彼の新しい住所が書かれた紙を私にくれた。すぐに引っ越してしまうから、友人たちと連絡を取れるようにと彼の両親は彼にスマホを与えていたが、私は両親の方向性により高校生になるまでお預けだった。そんな私に気を遣って提案してくれた、メッセージアプリの便利さを知ってしまえばわざわざやろうとは思わない文通。そういう優しいところが好きだったのだ。彼の提案に私はこくりと頷いた。
しばらく文通は続いたが、度重なる彼の引っ越しで住所が分からなくなり、いつしか文通も途絶えた。
それから数年。私は歓声に沸くステージへと足を進める。いまや知らない人はあんまりいない、国民的人気アイドル。それが私だ。
高校からの帰り道に、アイドルにならないかと声をかけられた。彼のことがずっと心に残っていた私は、恐る恐るその世界へと足を踏み入れたのだ。私が有名になれば、居場所がわからない彼も、私を見つけてくれる。そんな僅かな期待を込めて。
ライブステージから、会場を見渡す。彼のために始めたアイドル業も、今や生き甲斐だ。
「今日は、みんなに聞いて欲しい曲があるの」
ざわりと湧き立つファンに、笑みが深まる。
「新曲、聞いてください。『あなたに届けたい』」
伝えられなかった、忘れられない不変のこの想い。