題.無色の世界
「ねぇ、おじいちゃん。色が見えなくて困ることってある?」
「信号機は困るね。マークがついとるやつは分かるんじゃが、マークどころか歩行者用の信号機すらも無いところがあるじゃろ?だけんど、車用の信号機にマークがついとるわけじゃなか、それはいかんせん不便なもんだな」
「じゃあ、逆に色が見えなくても幸せなことってあるの?」
「およう。おばあさんの好きな海に連れて行っても、それがどんなに深い青だったのか知らん。おばあさんの好きな柴犬を飼っても、その子の、小麦色の毛がどれほど温かい色だったのか知らん。それでもな、色が分かんなくても、おばあさんの笑った顔を見られるだけで幸せだった」
題.桜散る
桜の木の下。筆を構えて、持ってきた短冊をにらみつけてもそこに文字が現れる気配は一向に無い。
この脳内の創作意欲が枯渇していた。表現のかけらさえ浮かびそうにはない、せっかくこんなところまで来たのに。
喉の奥につまるものが苦しくなり、あきらめて、天を仰いだ。見えるはずの青空を桜が覆い尽くしている。
よく見ると枝先のほうはもう、若い青色の葉になっていた。
桜が散っている。舞っているようにも見えるし、踊っているようにも見える。
今のわたしには、それだけしか浮かばない。
どんな文章が生まれたとしても、既に先人の文豪たちに奪われていた気がする。ありったけの言葉を並べても足りない。
苦しい。この身に、この心に、溢れる感情をはやく形にして、楽にしてあげないと。
そう思うのに、筆が動かない。せっかく浸した墨も行き場をなくしている。
後日。わたしは遠くに行った、二度とあの桜に邂逅を遂げられないところまで。
お医者さまは原因不明でただの自尽だったと判断したが、わたしの恩師は「倦怠期」という病にかかっていたと話したそうな。
題.ここではない、どこかで
また逢えるといいね。
三途の水が溢れてなければ。
古今和歌集 哀傷 829番
題.届かぬ想い
今は背伸びしても届かないだけ、だから。
いつか僕に気付いてくれたら
そのときは伝えていいですか。
小倉百人一首 77番
題.神様へ
知らないことも、
分からないことも、
見えないことも、
あなたにだってあるでしょう。