ドラマとか漫画では結構ありますよね。なんかたいていドラマチックな展開で、作品のターニングポイントに配置されてたりしますね。濡れる美形は絵になりますからね。
でも実際この言葉をゲシュタルト崩壊するくらい見つめ現実にトレースしてみると、なんだか全然腑に落ちないのです(もちろん個人的な感想ではありますが)。まず見たことないですし、いたらちょっと心配より怖いが勝つ。次によしんば濡れていたとして、大抵は足早に屋根のある場所を探していたりします。出費は痛いけどコンビニで傘を買うでしょう、それがよく見る現実です。
おいおい馬鹿野郎、シチュエーションが違うじゃないか。彼はショックを受けている、悲しんでいる。雨を気にしている余裕なんてないのだ、と言われるかもしれません。たしかにそういう人もいるのかもしれませんが、私はやっぱり納得できません。私個人青天の霹靂とも言える転換点を経験したことがあるのですが、お腹はすき日差しは暑く、コンビニで飲み物を買っていました。
色んな人がいるので色んな反応があると思います。だけれども現実は思ったよりも現実的で、生物学的に私達はしっかり人間です。私は雨に佇んだなら、寒い、財布濡れるし携帯やばい、屋根、コンビニ気持ち悪い風邪引く最低ってなります、ごめんなさい。
台風も来ておりますので、必要以上の外出は控えましょう。もちろん佇んで怪我をしないよう気を付けて、命はとりあえず第一優先事項です。
それでは散文駄文失礼いたしました、お疲れさんでございます。
決意の1日目
自信に満ちた2日目
間の抜けた3日目
もとに戻った5日目
閑話
閑話
閑話
項垂れる
顔上げる
閑話休題
再起の186日目
戒める187日目
堪える188日から192日
ふやけた193日目
閑話
閑話
閑話
まだまだ真っ白な私は日記帳
次に綴られるときを待っています
ゆっくりと のんびりと
緊張して鼓動が早い。何を話しているのかも分からない。笑ってくれてるのがせめてもの救いだった。僕はうまく笑えているだろうか。顔が隠せなくって恥ずかしいったらない。
何でもない会話をしている。なんでもなくてもどうでもよくはなくて、きっと大切な時間。日向のような暖かさと珈琲の香りがただよう時間が僕は好きだ。でも隣同士のほうがもっとよかったかな。
僕はうまく笑えているだろうか。そもそも笑う意味なんてあるのだろうか。大げさに哀しみたい、哀しんでほしい。なんなら怒ってもかまわない。でも本当は分かっている、ただ迷っているふりがしたいだけなんだろう。取り繕うような僕と何もしない貴方。
空いているからといってテーブル席は失敗した。広いテーブルに1人はどうにも居心地が悪い。思い出す。空耳が聞こえる。目の前の空白が落ち着かない。僕は向き合えているだろうか、いただろうか。浮かんでは消える、消えては浮かぶ。
本当に失敗した。向かい合わせになんてなるんじゃなかった。
ケータイ片手にしかし手持ち無沙汰な、まさに今です。
劇的なもののない漫然と平和な深夜、私はとてもやるせないです。
寝ろ。
言葉を聞き続けるのが億劫だ
笑顔を向けられるのも厄介だ
カードを捲るのが怖い
当たりならばどうしよう 外れならばどうしよう
私が僕なら貴方は失望するかもしれない
善意が善意のままなら耐えられないかもしれない
カードを捲るのが怖い
選んだパスタが望み通りの味であってほしい
月の裏側を見ずに生きていたい
貴方を裏返したら私はいるのか
私を裏返したら貴方は知るのか
どうか どうか