このお題、出すなら4月にしたらいいのに。。
閑話休題。
卒業と新生活の季節です。
学生だけでなく新社会人、転職を遂げた人も、多くは区切りの良いこの季節かと思います。
どんな場面であっても、新しい環境はしんどいものです。
極論、このフェーズは根性で乗りきるものだと思います。
ココを越えられずに逃げてしまうと、一時状況が改善したように見えますが、また次の新しい環境に直面する。
すると同じようにしんどいフェーズがやってくるわけです。
玉砕覚悟でぶつかって全部吸収してやるぐらいの気持ちが、最初には不可欠だと思います。
虹の見え方は文化に依存する部分がある
沖縄ではかつて明暗の2色だったそうで、
パプアニューギニアなんかでは今でも赤黒の2色とされているらしい
そもそも日本でいう7色も、主流とは言い難い
虹の7色は、ニュートンが音階に照らして提唱したものだけれども
当初7色としていたアメリカでは藍色を抜いた6色に変わっている
日本で6色への転換が難しかったのは、言語として七五調が好まれていることが原因かなと思ったり。
また調べてみよう
記憶のためには記録が必要
暗記するなら単語帳が要るし
教えてもらったことを定着させるにはメモが要る
なのだけれど
記録があるから記憶はいらない、という訳ではない
「学校の暗記科目は、ググればいいので不要」論までいくと、ちょっと納得いってない
憶えてこなかったことを、適切に調べられるか
調べられたとして、適切に利用なり応用なりできるか
というのはもちろんで、
教養的な観点で、ひとと話せるか、という点でも記憶は重要と思う
場の雰囲気やテンポを踏まえたコミュニケーションでは、それに間に合う情報の引き出しが必要で
引き出しの速度では記録より記憶に軍配があがるからだ
自己の体験が教養に直結するのも、それ故だろう
もう二度と取り戻せないのは
年齢と過去の経験、ぐらい?
まえに、時間は循環するという話をしたけれど
この2つは一直線に通り過ぎていってしまう
過去は何色だったろうか
華やかな色をしていただろうか
振り返ったら灰色だっただろうか
できる限りこの直線を
ここから前だけでも
自分のレッドカーペットにしていきたいものだ
以下大部分がぼくの考えというより他人の受売りなのだけれど
心が曇っているときに本を読まない方がいい、という考え方が(も)ある
ここでの本は、特に自己啓発を中心とした、(顕在的か潜在的かに関わらず)解決策を提示しているものを指している
本の中には答えもないし救いもない
落ちているときの打開策にはなり得ない
そういうときの本は、分かった気になったり
納得したような気分になっている恐れがとてもある
あるいは、自分の心を理解してくれているような気がしてしまう
本は、活字になっていることでどうしても三人称(俯瞰的)視点で書かれていると思ってしまうこともあるが
どこまでも「作者の」一人称(主観)であることには注意しないといけない
その本が、「自分にとっての」一人称や二人称にも当てはまるか、使いこなせるかが一番重要なのであって
本を読んだあとにどこまで考えられるか、行動できるかが、この場合の読書の本質に感じる