記録すること
自分の外部に残すこと
記憶に頼らないということ
食事・運動・体重の管理をすること
家計簿をつけること
動画や写真を撮ること
カレンダーに登録すること
伝えたいひとにLINEしておくこと
SNSに投稿すること
日記を書くこと
今こうして書いているということ
記録すること
思い立ったが吉日、という
もっと言えば、「思い立ったかどうかに関わらず今日が吉日」だと思うが、それはさておき。
中学2年生の頃
塾の宣伝だろうけど、「絶対𓏸𓏸高校に行く」という一枚の紙を見た
その瞬間、県で一番のその高校に行くことを決めた
そこに明確な理由や根拠はなかった
たぶんそれがぼくの、冒険の始まり。
そのあと大学に進学する時も、資格をとった時も、自分の生き方を決めた時も、
最初に抱いた感情に従ってすぐに行動してきた
何かを変えたいと思ったときには、もう既にその一歩を踏み出している
しかもそれをひとが、自分が、自覚する前に。
壁にぶつかったとき、成功したとき、何者かになったと思ったとき
それ以前に
ペンを手に取ったとき、音楽を聴いたとき、家を一歩出たときに
状況は変わりはじめている
これをみて何かを感じ取ったのなら、それもまた一つの冒険の始まり
さあ冒険だ
一輪で咲いてる花はなかなかなくて
野山では大概、同じ種類の花たちがまとまって咲いてるよなあと思う。
で、一輪の花というと「道端に」とか「アスファルトに」咲く、とか歌われがちで、
それに対して「君は君でいい」とか言ったりして。
みんなと離れた場所で、必要に迫られて強く生きるしかない中で、
無責任に放つことばとしてはどうなんだろう。
松山千春の歌に、「一輪の花」というのがある
ああ 一輪の花でさえ 夢を見る 夢を抱く きっと生きている
ああ 悲しみも喜びも せつなさも空しさも きっと生きている
たぶん、これぐらいの感覚がちょうどいいんだろうな
ことばは人と人をつなぐ魔法である、と思う
ことばひとつでひとを前向きにしたり、失意のどん底に突き落としたりする
しかしこの魔法、術者の側だけではなく受け手によって効果が変わるらしいから取扱いが難しい
同じことばでも、心を開いてくれていれば届くし、そうでなければまったく受け取られない
いい影響と悪い影響のどちらを与えられるかも、受け手の状況(あるいは過去の体験)に大きく依存している
物事に対する双方の理解の程度によっても変わってくる
ぼくはひとりでいる時間と同じぐらい、ひとと関わっているのが好きだし
ひとの現在や過去をもっと丁寧に理解して
魔法を大切に使いたいなと、日々思っている