日が出ているのに雪が降る。そういう情景が好きだ。
冬晴れも降雪もありふれた情景だ。でも、この二つが組み合わさることはあまりない。
日常的なようで非日常的な情景。そんな絶妙な情景に出会えた時、えも言われぬ感動を覚える。
「幸せとは」なんて考えたことがなかった。日頃から幸せになりたいとは思っているが、それは漠然とした願望であって具体的なイメージではない。改めて幸せについて考えてみると、なかなか難しい。
幸せは過去と未来にしかないのではと思った。私たちは思い出を振り返りながら「幸せだった」と言う。そして、明るい未来を願いながら「幸せになりたい」と言う。
「今、とても幸せ」とも言うけど、それは「今この瞬間が幸せ」というわけではない気がする。だって、こう言っているときには数秒もしくは数分前の過去を思い出している。
そもそも、今この瞬間を全力で生きていたら幸せかどうかなんて考える暇はないのではないだろうか。
話がまとまらなかったが、結論はこうだ。「幸せとは」なんて哲学的思索に耽る暇があったら今この瞬間を全力で生きよう!
※全力で幸せについての考察をするのも、それはそれでありかもしれない。
昨日の日は沈み、今日新たな日が昇る。日はいつも新しい。
とても恣意的な表現だ。
でも、こう考えることで前を向いて生きていける。
今年の抱負は「無駄なことを考えない」だ。今年は「否定形の目標」にした。
これまでは「ポジティブ思考!」とか「明るい性格になる!」といった積極的な目標を立てていたが、軟弱者の私は志し半ばで挫折してしまった。
消極的な目標は達成しやすい。ダイエットを例に挙げると、積極的な目標は「毎日走る」などで、消極的な目標は「カロリーの高いものは控える」などだ。毎日走るのは相当な努力を要するが、食事に気を使うのはそれに比べると容易い。達成できない高尚な目標よりも、達成できるショボい目標の方がいい。
哲学者たちは神ではないものを記述していくことで神の本質に迫ろうとした。私はネガティブな思考パターンを一つずつやめることで、ポジティブな人間に近づこうとしている。
旧年が明けて新年になった。
暦なんて恣意的に決められた区切りでしかないけれど、心を一新して仕切り直すにはちょうどいい。
新年の抱負なんて年末には忘れているだろう。でも一年置きに決意を新たにすれば堕落し続けないですむ。昨年ゆるんだ心を締め直そう。
さぁ新年の抱負は何にしようか。