この一年は、言葉の新しい側面に出会った年だった。思考を分節する道具として言葉を認識するようになった。
言葉があるからこそ思考することができる。適切な言葉を選ぶことで、より自分の思考を明確に捉えられると知った。とてもわかりにくい授業の内容を必死に理解しようと試行錯誤したことが功を奏したようだ。
これからは語彙を増やし、より明晰な思考を追い求めるつもりだ。
「みかん」と聞くと和やかな気分になる。やや光沢のある橙色や、少し横に膨らんだ丸っこさが可愛らしい。
でも、みかんをみかんたらしめている特徴はそれだけではない気がする。みかんはその頭に緑の小さな冠を携えている。ヘタはみかんの愛らしさに多大な貢献をしていると思う。
みかんのヘタをとると小さな点が環状に並んでいる。この点の数は皮の内側にある実の数と同じだそうだ。ヘタは親木から実へ栄養を送るものであることを考えると、この点は親木と実を繋ぐものだと容易に納得できる。緑の冠はみかんの「へその緒」なのだ。
親木との繋がりを大事そうに頭の上に載せている健気な姿こそ、みかんの可愛らしさの本質なのかもしれない。
冬休みは白い。
これまでの思い出の中で、白い景色の冬休みなど数えるほどしかなかったのに。
冬は雪が降るもの。そう刷り込まれている。だから冬という字を含む冬休みは雪を連想させる。
そもそも、冬休みだからといって雪が降らないといけないわけではない。冬休みと雪をセットで考えるのはわたしの先入観にすぎない。そろそろ脱却しなくては。
今年の冬は雪だるまにスイカでも持たせてみよう。冬の風物詩の中に夏の風物詩を入れてみるのだ。白い冬休みも少しは色づいてくれるだろう。まぁ雪が降ればの話だが。
手袋の形をよく見てみた。手の形に合わせて5本の指があり、手首までの部分を覆うようにできている。革手袋、ゴム手袋、軍手など、材質や用途は様々だがおおよその形は共通している。
他の共通を探していると、左手用と右手用があることが頭に浮かんだ。だが、これは全ての手袋に共通する特徴ではない。だって、使い捨てのビニール手袋なんかはどちらの手にもはめることができる。
では、左右の区別がある手袋と、左右の区別がない手袋の違いは何だろうか。それは、表と裏の区別、言い換えれば手の甲側と手のひら側の区別があることだろう。滑り止めのある軍手と滑り止めのない軍手をイメージするとわかりやすい。滑り止めのある軍手では、滑り止めはモノを握る方である手のひら側についている。つまり、滑り止めがついている方が手のひら側と決まる。そうすると自動的に左手用か右手用かが決まる。一方、滑り止めのついていない軍手はどちらの面も同じ性質をもつので手の甲側と手のひら側の区別はない。そして、ひっくり返すことができるので、左右の区別がない。
まとめると、手袋には指が5本あり、手首まで覆うという共通点がある。そして、表と裏の区別があるものには左手用と右手用の区別があり、表と裏の区別がなければどちらの手にもはめることができる。
こんなことに気がついたところで特に何のいいことはない。たぶん暇なんだと思う。世間はクリスマスやら年越しやらで賑わっているが、クリスマスは特に予定もなかったし年越しのときは毎年寝ている。
来年はもう少し世の中に参加した方がいいかもしれないと思った。とりあえず初日の出でも見ようかな。