照守皐月

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1/1/2025, 9:19:31 AM

108の煩悩ではなく、108の後悔がある。

あなたに思いを伝えらなかったこと、そのままあなたが死んでしまったこと、死にゆくことは分かっていたのに止めようとすらしなかったこと。

あなたと出会ったのは四月の頭で、部署異動に伴ったものであった。たまたま同じ部署になっただけの間柄ということにしたい。でも、運命的な何かというべきなのだろうか。わたしはあなたに惹かれていた。

わたしには大まかな人の死期が分かる。あなたの死期を知ってなお、わたしはあなたに絡み続けた。それが自らの首を絞めるとも知らずに。年の瀬、あなたは自ら首を吊って死ぬ。それが、確定された運命。

せめて死ぬまで幸せでいてほしい、というのはわたしのエゴだったのだろうか。

今となっては分からない。全ては終わったあとで、それが再起することはなく、ともすれば思い出そうとすらしないのかもしれない。個人的には思い出さないのだろうと思う。死の間際のあなたの顔と思いを浮かべるたびに苦しくなるから。中途半端に期待を抱かせるべきじゃなかった。年度末に「また来年!」と笑うあなたはどんな気持ちだったのか、わたしには到底分からない。

春の花見、夏の心霊スポット巡り、秋の紅葉狩り、冬のあなたの死に顔。全部鮮明に覚えてる。思い出したくなくても思い出されるそれにわたしは苦しむ。

もう、苦しみたくないから。

薬剤の過剰摂取──つまるところのオーバードーズ──による中毒死。手軽にできる自殺のひとつ。もう実行してしまっていて、頭がぐわんぐわんと揺れる。脳が掻き混ぜられる感覚。歩んできたこれまでと、歩むはずだったこれからがシャッフルされる。

「また来年!」

あなたの声が聞こえた気がした。恐らくは幻聴。あるいはあなたを諦めきれないわたしが生み出した錯覚。

年の瀬に、わたしとあなたは死ぬ。互いに後悔と絶望などの負の感情を抱きながら消える。

刹那、除夜の鐘が鳴った。

人生最期の音は皮肉にも、後悔や欲望を浄化する聖なる音で、エゴを押し通したわたしにとっては不適切すぎるものだった。

「108」
作・照守皐月/teruteru_5

12/30/2024, 1:18:56 AM

正月といえば、炬燵に入ってミカンを食べることが恒例行事である。身体の大半を穏やかな熱に包まれている際に食べるミカンというものは異様に美味しい。さっぱりとした酸味が味蕾へと染み渡っていく。

去年からずっと窓の外では雪が降っている。本来であればしなければならない雪かきも、今は休んでしまって構わないだろう。何も年中ずっと働かなければならないわけではない。むしろ働くためには休暇が必要だ。休暇なくして労働は成立しない。これは紛れもない事実。

とはいえ、動かなければ腹に贅肉がついてしまう。事実として正月に入ってから体重が5kg増えた。これが正月太りなのかと感動していたが、よく考えると感動できる要素なんてない。己の怠惰により脂肪がついたというただの因果応報の表れである。

これ以降、私は体重計に乗るのが怖くなった。

でも、逃げてばかりではよくない。ということで運動をすることにした。腹筋と背筋と腕立て伏せを毎日30回3セット、プランクを60秒。これをひと月続けたら、あっという間に痩せることだろう。

……と思っていたのだが、これが思いの外きつい。日頃から大きく身体を動かすことがない私にとっては苦痛だった。結果として、三日と経たずに運動をやめた。

腹には脂肪がつく一方だ。「これ脂肪吸引した方がいいんじゃないの?」と思いつつ、続きもしないダイエットを行う。これに飽き飽きしてきた。

さて、そろそろ頑張った頃合だし、お年玉的な感じで体重を誰かに渡してもいいんじゃないかな?



『怠惰なおじさん』
作・照守皐月/teruteru_5

12/29/2024, 9:35:32 AM

じんわりとした熱が肌を包む午前四時。布団から抜け出して手袋をはき、ジャンバーを着てそそくさと外へ出ていく。まだ外は暗い。緩慢な速度で落ちゆく雪が、鼻先に触れる。じわり。冷たかった雪の塊が、わたしの体温で溶け落ちた。

ここのような田舎において、冬休みとは特に何もすることのない虚無の季節だ。遠出をしようにも路面凍結で車は思うように動かず、ともすれば新幹線や電車になんて乗り込むことすらできない。やることと言えば食べることと寝ることと雪掻き。あと宿題。それを繰り返して数ヶ月が経つと冬休みは終わっている。

学校に行ったら行ったで、特段楽しくもない授業を受けて帰るだけ。友達との会話も徐々にマンネリ化してきて楽しさが削がれゆく。あの他愛ないだけの会話も、わたしにとってはうんざりだ。

さて、ここまで冬について色々なことを言ったが雪はいいものだ。冷たくて、それでいて確かな温かさを持っている。ふかふかとする一方でどこまでも引きずり込んでしまいそうな貪欲さを持つそれは、まるで冬場の早朝における布団の魔力のようだ。

雪というのは子供を騙すのにももってこいらしい。わたしは騙されていないが。かまくらを作り、余った雪で小さな雪達磨を作りながらそう考える。

雪掻きは疲れたら遊びにシフトチェンジできるのがまたいいところだ。

親や友達を巻き込めば雪合戦だってできる。一人でも雪玉を作ったり、氷柱を折って振り回したり舐めたり、雪達磨を作り上げて家の前の塀に置いておくことだってできる。友達はみんな楽しいからやってるらしい。

尤も、わたしはそういった行動を子供のような思考でやっているわけではない。あくまでリラックスのためにやっているのだ。そこら辺、わたしは普通の子供とは違うのだと声高らかに言ってやりたい。わたしはもう小学六年生、この冬を越えれば中学一年生になる。いつまでも子供のままではいられない。

なら、せめて、この冬だけは子供でいさせてほしい。

大人になりかけのアイデンティティを、大人でいたいというプライドを持ちながらも子供でいる。それがどれだけ大事なのかは分からないけど、今のわたしにとっては年末ジャンボ宝くじで一等を当てるよりも大事な事だ。

「えいっ」

積もった雪に飛び込む。ぼふっという音が鳴って、身体が沈みこんでいく。起き上がるとそこにはわたしの跡がある。形は残らないし、冬休みを過ぎればなくなるだろうけれども、記憶には残る子供の「跡」が。


『子供のあと』
作・照守皐月/teruteru_5