今、新しい葉書が届きました。
今回はまっしろな雪の綺麗な場所ですね。この間はまっくらな洞窟だったから、少し心配していたんですよ。
貴方からの葉書は、いつも挨拶の一つもないような素っ気ないものばかりだけれど、この一枚の景色がまるで貴方の分身のようで、とても愛おしく感じています。
いつもありがとう。
思い返すと、今まで北の果てから南の果てまで、たくさんの景色を分けてもらいました。頂いた景色を壁に貼るたび、我が家はまた少し貴方に染まります。
手のひらサイズの小さな葉書はさながら小窓のようで、いつの間にか我が家は随分と風通しがよくなりました。
貴方は今、何処に居るんでしょうか。
寒いところですか。暖かいところですか。
どんな生き物がいますか。どんな植物がありますか。
貴方は私の居場所が分かるけれど、私は違う。私が受け取った景色の場所に、貴方はきっともういません。
それを悔しいと感じてしまう時もあるけれど、貴方が今日も何処かで、私への景色を見繕ってくれていることが嬉しくもあります。
また、葉書を送って下さい。
貴方がこの家に帰って来る日を待つよりも、貴方からの葉書を待つほうがよっぽど幸せだから。
「おはようランカ。ご飯できてるよ」
雨上がりの不思議な香りと、朝ご飯の美味しそうな香りが混じった朝。
山奥の小さな家で暮らすランカとリリアンは、いつも何かする訳でも無く、のんびりと毎日を過ごしていた。
「おはようリリアン。今日は何する?」
「特にすることも無いから、また街を散歩してみる?」
「ん、いいよ」
動物の縄張りを荒らさないように、山奥を丁寧に降りていくと見えてくる街。
そこは植物に覆われた、静かな静かな緑の街。
人の声は聞こえず、小鳥の声だけがたまに聴こえる。
「もう、みんな森になっちゃったね」
「うん」
「ランカ」
「なに?」
「今日ね、お薬のストックを見てみたんだ」
「うん」
「もうすぐなくなっちゃうみたい」
「そっか」
「もうすぐ、ランカともお別れだね」
「うん。バイバイだね。」
花がまばらに咲く小さな丘を登ると、街を一望できる公園がある。ここでいつもピクニックをするのが二人の日課だ。
「リリアン、今日のお弁当は?」
「サンドイッチ」
「やった」
最近は暖かい風が心地よい季節になってきて、毎日ピクニック日和だ。
「ねぇランカ、この星はどんなふうに終わるのかな」
「うーん…分からないけど、流れ星が沢山降ってきたりしたら、綺麗だよね」
「いいね。素敵」
「リリアンは?」
「私はね…シャボン玉みたいに、突然ぱって消えちゃうのも良いかなって思う。そしたら、怖い気持ちにならずに済むじゃない」
「え〜。もっと派手なのにしようよぉ」
「ふふ」
毎日ずっと話していても、尽きない話題。
街のこと、未来のこと、好きな男の子のタイプ。
思いついたままに話すだけで、日は暮れてしまう。
「ランカ」
「ん?」
「私達がいなくなったら、誰がお墓を建ててくれるんだろうね」
「んー?…そんな人いるの?」
「私ね、植物に造ってもらおうと思うんだ」
「植物?」
「うん。沢山時間をかけてね、植物がゆっくりと眠った私を包んでくれるの。お花もあったら素敵だなぁ」
「それ、いいね」
「でしょ」
「…リリアン」
「なに?」
「もう、いっちゃうの?」
「…うん。しばらくしたら、ね」
「さみしくなるね」
「ごめんね」
「…ううん。」
「それじゃあさ、ランカ。
私が居なくなったら、貴方がお墓を作って?」
「…いいの?私不器用だよ。せっかちだし、お花だって咲かせられない」
「うん。そっちの方が、きっと寒い日も暖かいわ」
「…分かった。」
薬が切れたら、リリアンはもう目を覚まさない。
リリアンが居なくなったら、私はどうやって過ごせばいいのかな。美味しいご飯が食べられるのも、あと少し。
「じゃあ、帰ろっか。お夕飯の支度しなきゃ」
「うん。」
この世界は、もうずっと昔に終わっている。
私達も、もうすぐ終わる。
そのときまで、ゆっくりと。
【夢を見ていたい】
年が明けて、冬休みも終わってしまった1月中旬。
もう当分二度寝ができないことにがっかりして、授業にもなかなか身が入らない日が続いている。
窓の外を見ても怪物はいないし、目を閉じてみても、妖精の声が聞こえるどころか睡魔が襲ってくるだけだ。
何をしても状況は変わらないし、憂鬱な気分もとれないままで、時計ばかりを気にしてしまう。
「ね、シャー芯持ってない?」
びっくりした。大した反応もできないまま隣の席を見ると、こちらをじっと見つめるクラスメイトの女子。
意識の中から現実に引き戻されたような感覚がして、僕もその子を見つめてしまう。
「シャー芯、持ってないの?」
彼女は授業中の教室で目立ちたくないのか、声量を少し抑えながら急かすように聞いてくる。
「あ、ああ、はい」
僕はしどろもどろになりながらも、なんとか筆箱の中からシャー芯のケースを取り出して渡す。
「ありがと」
彼女の、すこし申し訳なさそうにケースを受け取る笑顔を見て、何故か違和感を感じた。
「…学校、来てたんだ」
その違和感が何か、
気づいた時には口にしてしまっていた。
彼女は少し動揺した表情を見せたあと、気まずそうに微笑んだ。
「ん、まぁね」
「…もう体調は大丈夫なの?」
「うん、もう良いんだ」
「そっか」
そうだ。彼女は病気で入院していた。
学校には滅多に来ず、存在自体がレアな人だった。
休みボケか、妄想のし過ぎのせいで忘れかけていた彼女についての記憶が、少しずつ蘇っていく。
「さ、佐藤さん…で合ってる?」
佐藤。確かそんな名字だった気がする。
彼女に対して呼んだことがなかったので、少し自信がない。
彼女はそれが少しおかしかったらしく、くすくす笑って応えた。
「ん、合ってるよ」
ホッとした。これで間違っていたらとても気まずいまま時間をやり過ごすことになっていた。
「て言うか、よく覚えてたね」
「うん、自分でもびっくり」
「ふふ」
彼女の名前は、休み前の席替えの時に知った。
隣の席が居ないのは少し寂しい気もしたけど、気楽に感じていたのも確かだった。
「みんなは覚えてるのかなぁ。」
「さあ…どうだろうね。佐藤さんこそ、僕の名前知ってるの?」
「知ってるよ。加藤くんでしょ」
「…うん」
なんで知ってるんだろう。僕はそもそも存在感がないから、たまに担任にも忘れられたりするのに。
「なんで知ってるの」
「知ってるよ。入院中ね、よく名簿を見てたから」
「名簿?」
「うん、クラス名簿。学校復帰できたら、早く皆と仲良くなりたかったんだ」
「そう。じゃあ良かったね」
「うん。…でもね、私が名前を覚えても、相手が私の名前を覚えてくれなくちゃ意味ないんだ。」
「そんなこと無いんじゃない?佐藤さんの名前も、これから知って覚えてもらえばいいじゃんか」
「そうかな…」
「そうだよ」
佐藤さんは思ったよりネガティブな人のようで、僕は無意識に語気を強めてしまう。
でも、もう季節は冬。1月だ。
このクラスもあと二ヶ月程度で終わってしまうのだから、また来年度頑張ればいいのではないか。という意見は流石に無神経な気がして伝えるのをやめた。
「じゃあ加藤くんは覚えててくれるの?」
佐藤さんは僕の方を向いて、なにかを訴えるように見つめてくる。あまりにも熱のこもった視線にドキッとして、僕は少し動揺した。
簡単に「はい」と言えないような、不思議な引力が働いているようだった。
「…うん。忘れないようにするよ」
気付けば背中には汗をかいていて、心臓の音もうるさかった。彼女はそんな僕の緊張とか、気遣いとか、そういうのを全部見透かしているような気がして堪らなくなった。
「じゃあ絶対忘れないでね。約束」
そう言って笑顔を見せたあと、不意に彼女は席を立った。呆気にとられる僕を余所に、彼女は何も言わずに教室を抜けて廊下へと消えてしまった。
「ーーーー藤、加藤!起きろ!」
「…えっ」
「全く。休みボケか?」
「はい…ごめんなさい」
意識を取り戻した僕はやっと、さっきまでの彼女との世界が夢だったことに気付く。
そうだ。夢で当たり前だったんだ。だって佐藤さんは、
一ヶ月前に病気でこの世を去ったのだから。
でも、夢での彼女の姿は、驚くほどに鮮明で生き生きとしていた。もしあれが彼女の魂的なものだったとしたのなら、なんで僕なんだろう。
僕が、名前を覚えていたから、なのだろうか。
彼女はきっと、病室で名簿を見つめながら、クラスメイト全員の名前を一人ひとり丁寧に覚えたんだと思う。でもきっと、当のクラスメイトはそうじゃない。彼女の名前も知らなければ、興味すら示していない人もいるだろう。
佐藤さんはもしかしたら、覚えていて欲しかったのかもしれない。誰でもいいから、たった一人。
このまま年老いたあとも、存在を忘れないでいてくれる人が欲しかったのかもしれない。
でもこれは、僕の妄想に過ぎないから。
できることならもう一度夢を見て、そして彼女に聞いてみたい。今度はちゃんと、「忘れない」と言いたい。
もし、また彼女に会える夢が見れたなら。
そのときはずっと、夢を見ていたい。