四月。清明の時期。
程よい温かさが日本を包み、その一部の風がカーテンを通じて部屋に迷い込んでいた。
一人になったこの部屋には寂しさが募っていた。幾ら換気しようが抜けきれない空気だ。
「はぁ……喪失感ってこんな感じなんだなぁ」
部屋で大の字に寝ている男性がそう言った。
手入れのされていない髪に、少しづつ伸び始めている爪ですら手を付けていない様子。部屋の端に押し退けられている机の上には大量の缶と灰皿に溜まっているタバコが置かれていた。
まともに生活しているとは思えないほどに散らかっている。何ヶ月も出していないゴミ袋がそう語っていた。
そんな中、部屋のインターホンが部屋に響いた。
「誰だよ。宅配なんて頼んでないぞ」
文句を口から漏らしながらも、身体を起こして玄関に膝を少しづつ動かしていく。インターホンのモニターを見ると、男性とは真逆の服装をしていた、金髪の男が立っていた。
「裕二じゃねぇか。何の用なんだ?」
頭を掻きながら玄関の扉を開けると、裕二と呼ばれた男はビニール袋を片手に敬礼のような姿で軽く挨拶をした。
「よっ、飯を作りに来たぜ」
「飯? 頼んでないんだが」
「頼んでなくても、やっちゃうのが俺クオリティ」
陽気に話す裕二は、まぁまぁと家主を押し込むように部屋に押しかけた。怪訝そうな表情をする男性に裕二は苦笑いを零すが、ある日を境に使わくなったキッチンを使って何かを作り始めた。
「んふんふーんー」
どこかで聞いた事のあるような鼻歌を聞き流しながら、風で揺れるカーテンを無気力に眺めている。
「出来たよー」
様になっているピンクのエプロンを着けながら、スプーンと共に持ってきたのは、オムライスだった。
形も悪くない。むしろ、店に出てきても違和感のない姿だ。
「ありがとうよ。いただきます」
「どうぞ」
スプーンでオムライスをすくい上げて、口に入れる。
「あっ、美味しい……それにこれ」
男性は目の前で雑に座っている裕二に目線を合わせると、裕二は今まで見た事の無いような優しい笑みを浮かべた。
「君が最も愛していた人の味だよ」
「でも、どうしてこの味を……」
「教えて貰ってたんだ。君の彼女から」
言葉が出ないといった様子だった。少しづつ腕を動かして、オムライスをすくい上げて、一口。また一口と食べ進めた。
「美味しい……美味しいよぉ。美南……」
男性の口から名前が上がった。男性が涙ぐみながら食べる姿を裕二はずっと眺めていた。
少しもすれば、オムライスは無くなった。きちんと食べ切った。
「ごちそうさま、でした」
「お粗末さまです」
裕二が男性から皿を受け取って、キッチンに持って行くとき、男性に服を摘まれた。
「どうしたの?」
「洗い物なんてあとでいいから、なんでこんな事をしたのか教えもらいたい」
分かったよ。と言って、キッチンに皿を置いてから再び男性の前に座り込んだ。
「確か……なんでこんな事をしたのか? だっけ」
「そうだ。教えてくれ」
「見てらんなかったんだよ。事故で彼女を亡くしてから、生気が抜けたように見えたんだ。大学にも来なくなるわで、俺としては心配なんだよ。忘れろなんて言わないから前を向いて欲しいから俺は来たんだよ」
美南を事故で亡くしてからもう既に二ヶ月に入ろうとしていた。
そろそろ、立ち直らなければいけない時期なのだ。
「でも……でも!」
「言ったろ。忘れろなんて言わない。前を向いて欲しいんだ。お前が何をしようが俺は仲間で居たいんだ」
今にも泣きそうになっている男性をゆっくりと抱き寄せてた。
「俺がここに居る。いつまでも中まで居てやる。今は思いっ切り吐き出してくれ」
背中を優しく擦りながら、耳の近くで小さく呟くように言う。
「あぁぁぁ……」
我慢の限界がきたのか、涙がポロポロと流れ始めていた。オムライスの時とは違う涙だ。
裕二は涙を流している男性を胸に落として、諭しているとカーテンの傍に女性の姿が見えた。
「任せてください」
裕二がそう言うと、女性は頭を下げて口を動かした。裕二が瞬きをすると、女性の姿は無くなっていた。そして、揺れていたカーテンは揺れなくなり、落ち着き始めていた。
男性の方も泣き疲れたのか、裕二の胸の中で小さな息を繰り返していた。
「俺が居るから……安心してよ。蒼葉」
言葉にならない。
中学三年生の冬。そろそろ中学生にとっての一大イベントでもある受験が近付いている。
俺は深夜遅くまで入試の過去問を解きながら二月に行われる公立入試に備えていた。
そんな、俺でも彼女が居る。名前を神崎 浪華と言い。俺と違って高スペックのお嬢様だった。
彼女の家は、ある程度発言権が強い家柄であり、どうしても娘である浪華に重いプレッシャーを掛けられている。
正直、人の家柄のやり方に文句は言わない。本人としても、あまり触れてほしくない話題でもあり、俺は目を光らせつつも手を出さないようにしていた。
そしてある日。
いつものように、深夜遅くまで過去問を解いていると、突然スマホが鳴った。
スマホを見ると、そこには浪華と付き合うキッカケを作って貰ったり、浪華と共に一緒に遊んで貰った近所の兄ちゃん的存在の宮下 蓮から電話が掛かってきていた。
珍しいなと思いながら電話に出ると、何時もの明るい声じゃなくて折半詰まっている声で俺にひとつの事を聞いてきた。
「お前……浪華に何があったか聞いてるか?」
「何も聞いてないけど……」
「分かった。心して聞け」
浪華に何かあったのか? 何かに事件にでも巻き込まれてしまったのだろうか?
しかし、そんな淡い考えは兄ちゃんから告げられた事で完全に壊された。
「浪華が自殺した」
文字通り、声が出なかった。口を動かそうにも言葉が一切出てこない。
なんで? なんでなんで?
なんで浪華は自殺なんてしたの?
「今からバイクでそっちに向かう。病院に行くぞ」
「……はい」
俺は、返事だけを残して直ぐに電話を切り、クローゼットから普段から来ている黒のジャケットを羽織、父さんの声を無視して外に出る。
「ホレっ! これ被って行くぞ」
「ありがとう!」
外に出ると丁度良く着いた兄ちゃんからヘルメットを貰って兄ちゃんの後ろへと乗る。
普段ならバイクなんて怖い乗り物として恐怖の対象になっていたのに、この日は気が気じゃ無かったのか、特に恐怖心無く乗れていた。
数十分後、近くの総合病院に着いた。
ヘルメットをバイクの上に落ちないように置いて、走って病院の中へと入る。
「ちょっと! 病院の中は走らないでください!」
後ろから看護師の声が聞こえるが、そんなのどうでもいい。まずは浪華が第一だ。
「失礼します」
兄ちゃんが四回ノックし中に入ると、そこには涙一つも流してない浪華の両親と白い布が被っている人がいる。
信じたくない。
けど、頭では完全に理解している。
両親が何か言っている様に聞こえるけど、兄ちゃんが止めてくれてる。
ありがとう兄ちゃん。何が何まで。
俺はそっと顔辺りにある白い布を静かに取る。
白い布を取ると、そこには生を感じられない浪華の顔があった。
俺はしばらく浪華の姿を見て、直ぐに白い布を被せた。
「怜くんかな? 今すぐに出ていってもらえないかな?」
俺は固まる。両親と話すら出来ないの?
「はっ?」
「良いよ。兄ちゃん。分かりました。ここで失礼します」
そう言って俺は病室の外へと出た。
俺はバイクの所まで一歩一歩噛み締めるようにゆっくり歩いていく。
「ハハッ。浪華の両親にあー言われちゃ出るしか無いだろうよ。ちくしょうが……」
少しずつ視界が滲んで行く。
「なんでなの……何が君をそこまで追い込んだの? ねぇ……教えてよ。約束したじゃん。辛い事があったら相談するって。なんで相談してくれなかったの。ねぇ……教えてよ浪華」
兄ちゃんのバイクに両手を置いて地面を見ながらそう言葉を零していった。
空は星たちが過去の姿を地球に映している中、俺は一人で泣いた。中三にも関わらず泣いた。
「怜……」
俺の事を呼ぶ声がした。顔を上げると目に涙跡が残っている兄ちゃんの姿があった。
「兄ちゃん」
「これを……浪華の遺言だ」
俺は浪華の遺言を兄ちゃんから貰う。
兄ちゃんは俺を気遣ってバイクの所で待ってて貰ってる。
近くのベンチに座り、遺言を開いて読んでいく。
『怜へ。この手紙を読んだ時には私はもう生きていないでしょう。でもね。勘違いしないで? 怜が嫌いになっちゃってとかじゃないから! ただ、疲れたんだ。毎日毎日父さん母さんからのプレッシャーとかさ、上から圧されて疲れたんだ。多分、君は「相談してくれよ!」とか思ってくれてるかもしれない。自意識過剰かな? でも良いや。最期のわがままくらい聞いて欲しいな。でも、本当はもっと怜と居たかった。ずっと一緒に居たかった! 私の初めてを怜にあげて、同棲して、結婚して、子供産んで、一緒に孫を見て、一緒に老後を過ごしたかった! でも、私の事情にも怜を巻き込ませたくなかったの。これだけは知ってて欲しいよ。長くなっちゃったけど……短い間だったけどありがとう。私の大好きな初恋の篠宮 怜。神崎 浪華より』
手紙の上に大粒の涙が落ちていく。
手紙に涙が染み込んでいくのも関わらずにひたすらに泣いた。
今日だけで何回泣いたんだろ。でも、泣き止められそうに無い。
この手紙に、浪華になんて言えば良いの……。
そして、俺は月の光に……浪華の様な明るさを感じながら枯れるまで……泣き続けた。