【特別な夜】
人は生きているとしょうもない出来事に遭遇する。
大学の時分の知らない奴らとの飲み会である。
仲の良い友だちとは違うのだ。
「○○も行こうぜ!」と誘われ、「この後バイトがあるから(嘘)」などと言える度胸はない。首根っこを捕まれながら大人数で店へと向かう。
数時間の時間と金をムダにし、気配を消して家路へと急ぐ。
どうやら二次会が行われるようだ。
「あれぇ?こんだけしかいなかったっけ?」などと大声が聞こえてくるが知ったことか。
気配を消した私のような奴が何名かいたようである。健闘を祈る。
ここから1時間半かけて帰らねばならぬ。田舎者はつらい。
終電は23:00すぎと都会よりも早い。
田舎は爺さん婆さんが多いのだ。この時間でも随分良心的だ。
この時間に乗ってくる爺さん婆さんがいたら心配である。
何回か電車を乗り換え、ようやく終着駅に到着する。
駅を降りるとすぐ私は耳からイヤホンを外す。
親が迎えに来てくれるからではない。私の親はもう既に夢の中だ。薄情である。
静まり返った駅。
日中でもシャッターが多く降りた駅前は、不思議なことに日中よりも寂しさを感じない。
電灯の明かりはまばらだが、私の足元を確かに照らしてくれている。
誰も付いてこない、ひとりだけの道を私は歩く。
家まで10分ほどの田舎道。
途中電灯がなくなり、月の明かりで照らされる。
周りの田んぼは冬の様相を呈している。
冬になると生き物たちの声はほとんど聞こえない。
通りすぎる家々の明かりは頼りなく、この時間に歩いているのは私だけという事実が強調される。
顔の横を撫でる冷たい風は、私が着実に歩みを進めている証拠なのだ。
この瞬間が私にとって特別な夜だ。
同じ土地にいた昔の人々もこんな景色をみていたのだろうか。
私が幾度もなく歩いているこの道は何百年、いや何千年もの時間、多くの人が足跡を残している。
そんな足跡を私も残すことができる。
私は名前も顔も知らない人たちのことを考えている。
柄にもなく、こんなことを考えることができる私をなんだか素敵だと感じてしまう。
まぁこんな夜くらいいいだろう。
皆にとっては何でもないが、私にとっては特別な夜なのだから。
【海の底】
伊能忠敬はすごい。
私は1日に最大1万5000歩を歩いたことがあり、友に自慢していた。
伊能忠敬は1日に推定約5万6000歩歩いたという。
私が本気を出したら歩けるだろうか。本気を出すまでもない。私の本気は1万5000歩なのだ。
伊能忠敬に勝とうなど百年早いのである。
海の地図はあるのだろうかと気になった。
海図とでも言うのだろうか。
調べてみるとあった。
なんと、またも伊能忠敬である。
なんということだ。ここまでくると気味が悪い。
だが私は彼をすごいと思っている。ここもすごいと言っておこう。
正確には彼の死後弟子たちが沿岸部を完成させ、その先は海上保安庁となっている。
だとしてもである。
彼が生きていたら、海の底にまで興味を持ったであろうことは想像に固くない。
生涯歩き続けた彼は、きっと海の底までも歩いて行くのではなかろうか。
水圧などにも屈しない。
海の底は真っ暗であるが、彼が測量すれば暗闇も光輝きそうだ。
彼はそういう存在なのだ。
伊能忠敬はすごい。
私が千年かかっても彼に勝つことはできない。
【君に会いたくて】
「ただいま。カブトムシもらってきたぞ!」
カブトムシが父と共に帰ってきた。
「わぁ~すごい!かっこいいねぇ。」
小学2年生のわたしは飛ぶように喜んだ。
当時のわたしは虫が好きでも嫌いでもなかったが、カブトムシはかっこよくて好きだったのだ。
「よかったね!大切に育てないとね。」
嬉しそうに語りかける母であるが、母は今も昔も虫が苦手だ。
おそらく家にいる間世話をみるのは彼女である。その笑顔は苦笑いであった。
田舎であったため、カブトムシは採ろうと思えば採れた時代だ。
そういえば当時ムシキングというものがあった。
流行ってはいなかった。あったのである。
田舎でよくみる虫を、誰が好んで2次元の写真だけで喜ぶのであろう。
都会であれば需要があったかもしれないが、田舎の子どもたちには本物が身近にいたため、興味をひかれることはなかった。
ムシキングのなかでも弱い扱いを受けている虫たちは、どんな気持ちで生きているのだろうか。
彼らはその事実を知らないまま生きている。
私もヒトキングというものがあったら弱い扱いであろう。他人事ではない。
私は小学2年生当時のわたしに会いたい。
今ひとりで静寂の中の部屋にいる。
どこからかがさがさと聞こえる不気味な音に、不安を抱えている。
あれから時が経ち、私はどうやら母に似たようだ。
虫が苦手になったのだ。
この部屋にいるであろう虫を好意的に受け入れられる私はもうこの世にはいない。
あの当時のわたしがいてくれさえすれば、不気味な音を立てている存在に立ち向かえるだろう。
無惨にもそんな奇跡は訪れないのだ。
私は今から恐怖の一夜を迎える。
【閉ざされた日記】
閉ざされた日記。
何ともお洒落な言い回しである。
ゲームであれば謎を解くキーアイテムとなるに違いない。
かくいう私の部屋にも閉ざされた日記がある。
普段日記を書かない私が日記を書く時期は2回訪れた。
1回目は小学5年生のときである。
宿題として毎日日記を書くというものであった。
「書く内容はなんでもいいぞ。」
という先生の言葉を真に受けた私は、その日の夜ご飯のからあげが人生で一番美味しかったことを綴った。一番である。二番ならば言うまい。一番である。二度は言うまい。
次の日の先生からのコメントには、
「学校では楽しいことはなかったのかな?」とあった。
何とも手厳しい言葉だ。短い言葉のなかに、鬼気迫る表情が浮かび上がる。
先生にとってからあげが美味しいことは、日記に書くほどでもない当たり前なことであったのだ。
先生の実家はからあげ屋に違いない。
翌週から「日記のお題を出すから、その内容で書いてきてね。学校であった楽しかったことは?」と、笑点の桂歌丸じみたことを言い出した。
先生は笑点が好きに違いない。
「うーん、何を書こうね?」
と友だちと談笑したことは今でも覚えている。
そんな日記も1年で終了となった。
今にして思えば、日記の内容を自由にさせたところ、あまりにも生徒たちの内容が酷かったため、苦肉の策として先生は題材を与えたのだろう。他の先生からこのことでいじめられはしなかっただろうか。心配である。
あくまでも気づかれぬように題材を与える先生の優しさが今になって染みてくる。
さて、2回目は大学4年の丁度就活の時期である。
人は苦しいときに自分の感情を吐き出す場所を望むのだろう。
最初のうちは就活でがんばる自分を励ます内容であったが、次第に落とされた企業に対する罵詈雑言が並べ立てられることとなる。
立川談志もびっくりである。
何度「世界よ滅びろ。人類なんかいなくなれ、」と書いたことか。望みとは裏腹に、世界や人類が滅びなかったことは感謝したい。
苦しかった就活がようやく終わり、ハッピーな毎日が訪れた。
その日から私の日記はその日のメモと化し、時折気味の悪いポエムが綴られている。
こんな歳で中二病のような日記を綴っていることに、この当時の私は気づいていない。
今でもこの日記は私の部屋にある。
捨てた先で誰かがこの日記を読むと想像するだけでも身の縮む思いだ。
人の名前を書くと死ぬという「デスノート」ではなくとも、私はこの日記を読まれた瞬間死ぬだろう。
つまり私にとってこの日記はデスノートなのだ。
私が死んだとき、この日記は私の死の謎を解くキーアイテムという大役に抜擢される。
接着剤で本当に閉ざされた日記にしてしまおうか。
いまだに捨てることも閉ざすこともできない私は、これから先もこの日記を大切に保管し、新たな日記を書くことはないだろう。
【木枯らし】
「木枯らしってどういう意味?」
「あぁ秋から冬に吹く風だよ。」
辞書よりも面白味のない回答だ。金田一秀穂も真っ青である。
もっと洒落た返答を期待したいものである。
「なんで木枯らしって言うんだろうね。」
深く純粋な眼差しを向けられた私には、その好奇心を埋められるほどの知性はなかった。
言われてみればそうだ。
なぜたかが冬への移行時期に吹く風に「木枯らし」という称号が与えられているのか。
なぜ「木枯らし」というのだろう。
そこで私は「木枯らし」という名前が付けられた理由を考えてみる。
冬が好きと豪語している私には、理由を考える権利というものがあるだろう。
さて、「木枯らし」くんと真正面に話し合おうではないか。
木を枯らすと書いて「木枯らし」
なんと恐ろしい言葉の並びだろうか。
これを命名した人が、「木枯らし」という行為にどれほど憤りを感じていたのかがうかがえる。
「秋の末から冬の初めにかけて吹く強く冷たい風。」
というのが正式な意味らしい。
秋から冬に移行するなかで、木々も寒さから葉を落とす。
強い風が吹き、まるで風が木を枯らしたかのように見える様から名付けられたにちがいない。
殺伐とした冬の寒気がもうすぐやってくるぞ!人間よりも先に木葉がやられたぞ!とでも言いたいのだろう。
「木枯らし」では人を枯らすことはできないのだ。
「人枯らし」はむしろ夏だよなぁと思うと、木と人間は反対の性質を持っているようで、木を讃えたくなる。
ということで「木枯らし」は「人を枯らすことはできないが、人よりも強靭な木から葉を落とすことができる、これから訪れる冬を感じさせる力強い風。」という説明がまっとうではないだろうか。
…。
木を枯らすのは風ではなく火じゃないか…?