「月の満ち欠け」という理科の単元を思い出した。
太陽の位置と地球の位置も考慮し、
〇月の明け方は三日月が見えるだの、
地球は公転しているから日食が起こるだの
そんな話だった記憶がある。
といっても、月の満ち欠けを学んでいたのは約1年前の私である。
受験を前にして、
発展問題の比較的少ない理社国は1問も落としてはならないと
自分で自分に脅しをかけていたあの頃。
あんなに必死で勉強していたのに、
1年経つとすっかり忘れてしまう人間の脳と自分の記憶力の無さに
失望してしまう。
人というのはこういうものなのだろうか。
それとも、私が面倒な脳を持ち合わせてしまっただけなのだろうか。
前に書いたように、
必死で覚えた勉強の内容は1年すれば忘れてしまう。
覚えることは決して容易くなく、何度も繰り返し苦労したはずなのに。
しかし、自分の起こした恥ずべき出来事は、5年前のことですら覚えている。
その日の気温、空の色、友人の様子、そしてしまいにはその日の食事まで賢明に覚えてしまっているのである。
恥ずべき行動と言っても、本当に小さなことだ。
自分が呼ばれたと聞き間違え、起立してしまった。それも肘でつんつんされる程度のこと。
きっと数分後には私しか覚えていないだろうし、
誰も気に留めないような、あってもなくても変わらないこと。
わかっているのに気にしてしまう。
突然フラッシュバックして、恥ずかしくなってしまう。
ほら、今も。
私の家は、伝統文化を好む方ではないかと思う。
1月には七草粥、冬至には南瓜が食卓に並ぶ。
冬にはゆず湯に浸かる。
習慣化しているのだ。
上記を企画するのは、いつも母だ。
ではなぜ母が伝統文化を好むのか考えてみると、
そこには母の母、つまり私の祖母の影響があるからだろう。
祖母は自然が大好きな人だった。
お年寄りに自然が好きなイメージはあるが、祖母はその程度ではないような気がする。
毎日山に登っていたし、家の小さなベランダはたくさんの花や野菜で埋め尽くされていた。
聞いたこともないような野菜を買ってきて、晩御飯に出されたことだって一度や二度ではない。
祖母が買ってきた野菜の多くは独特な味がして、正直私は好きではなかった。
冬にはゆずを、夏にはみかんの皮を乾燥させ、湯船に入れて温もった。
湯船に方まで浸かり、10秒数えてから上がるのが、祖母の習慣だった。
私は5秒ほどで上がりたくなって、いつもうずうずしていた。
でも、今となってはそれでもいいのだ。
好まない野菜をいくら出されたとしても、湯に10秒きっちり浸からせられたとしても、
そこに祖母の暖かさを感じられるだけで十分なのだ。
最後の最後まで、自分でよりすぐりの果物を選び、彼女は食べていたそうだ。
私の習慣を作ったのは母。
母の習慣を作ったのは祖母。
祖母の習慣を作ったのは曾祖母。
もしかしたら、私の生活の一部に、
着物を着てお香を焚き、髪を伸ばした人の習慣が潜んでいるのかもしれない。
そう思うと、地味で面倒に見える伝統文化に浸るのも、案外悪くはないのかもしれない。