仕事は楽しいけれど、たまにはひとりの時間もほしいな、とふと思った。
知らない街を歩いたり、温泉に入ってゆっくりのんびり過ごすのも悪くないなあ。二日間だけ、どこか遠くに行こうかな。夏休みだし。
そう決めたわたしは、部屋を出て、玄関のドアに臨時休業と書かれたプレートを取り付ける。と、そのとき。ちょうど取り付けるのを見ていたらしい彼が「しばらく休むのか?」と聞いてきた。その声が少しさびしそうに聴こえたのは、わたしの思い過ごしだろうか。
何日も留守にすると思ったのだろう。安心させるように「ううん。二、三日だけ。旅行に行こうかな、と」と言うと、そうか、とほっとしたような返事が返って来た。
「ええと、なにかあった?」
「まあ、話したいことはあるにはあるんだが」
「あるなら今、聞くよ?」
「いや。お前が帰ってきてからでいい」
「そう? じゃあ、帰ってきてから話、聞くね」
「ああ」
じゃあ、と彼と手を振って別れた。話って、一体なんだろう。彼の様子は特に普段と変わらないように見えたけれど。まあ、二、三日後にはわかるだろうし、今は荷造りをすることだけを考えよう。
行き当たりばったりで突然行こうと決めた旅行。楽しまなきゃ損だ。鼻歌を歌いながら、わたしは旅立つ準備を始めた。
たまにはふらりと
(さあ、どこへ行こう?)
買い物帰り。自転車に乗って、街中を走っていたら、同じように自転車に乗って、仕事中の彼と出会った。実家が弁当屋さんである彼は、毎日のように自転車でお弁当を届けている。こんにちは、と挨拶するとぶっきらぼうに「……ちっす」と小さく頭を下げた。毎日暑いね、と話しかける。「まぁ…、夏だからな」と彼が答える。荷台にはまだ配達の済んでいない、お弁当の入った白いレジ袋のかたまりが何個か重なっていた。
仕事の邪魔をしてはいけないと、わたしはまたねと別れを告げ、歩き出す。すると、後ろから「待てよ」と呼び止められた。彼の元へ戻ってくると、手のひらに一枚の紙を押し付けられる。
「これは?」
「……新作弁当、発売したからお試しクーポン」
「い、いいの?」
「た、たまたま会ったからついでだ。別に、お前に渡そうと思って、用意してたわけじゃねぇ」
そう言う彼の表情は、夕暮れのせいかよくは見えないけれど、少し赤いように見えた。視線がかち合うとばつが悪かったのか、すぐに逸らされる。
「た、確かに渡したからな」
「うん、ありがとう。早速、明日買いにいくね」
「……じゃあな」
足早に走り去っていった彼の背中を見送りながら、家路へと急ぐ。新作のお弁当、どんなのだろう。頭の中で考えるだけでもわくわくしてきて、明日が楽しみだなあ、と思いながら自転車を走らせた。
自転車に乗って
(君と出会った)