無色の世界だと、
ポジティブな意味合いか
ネガティブな意味合いかに取るかは
その時々だけど、
無色の世界も
色が溢れた、情報が溢れた世界には、
疲れを癒やすために、
リフレッシュするために
たまには必要かもしれない。
人生疲れて、
彩りが何も見えない時もある。
けれど、
探そうと思う意志があれば
色は見えるもので、
だからこそ、
無色の世界は
新鮮で貴重な、これからの世界のように思える。
ここから新たにスタートしたい時、
心機一転、
ゼロからスタートしたい時、
無色の世界は
自分の心に寄り添ってくれると思う。
そして何より
今から自分なりに色を染めていくことだってできる。
また、
クリアに物事を見ることが必要な時、
混じり気のない気持ちでいること、
雑多なものを整理する必要性、
色はその時々で、
自分の印象や見え方で
メッセージを伝えに来てくれることもある。
難しく考えず素直に
今ある現実を受け止めるだけでもいいかもしれない。
そんな風に、
自分の世界は
自分の思考の在り方や感性、価値観で
生きてきた環境や現状で
捉え方も大きく変わってくる。
同時にそれを生かすも殺すも
自分次第なのである。
彩りがある世界もいいかもしれない、
無色の世界もいいかもしれない。
その人次第で、その人の色で
自分の見える世界を確立できるのであれば
なんだって
その人の思う素敵な世界に変化させることができる。
書きながら
何を言ってるのか分からなくなってきたが、
とにかく、
無色の世界は
自分なりに色をつける、
世界観を広げるチャンスでもあること、
そしてそれには
自分の時々によってメッセージも異なるということ、
それでもなければ
素直にシンプルに現状を受け止めればいいだけのこと、
そこから見えてきたものを
取り入れ意識していけば
それを活かせれば
自分の世界観は確立していけるし、
柔軟に色を変えられることもできるということ、
無色の世界は無限大である。
桜散るという言葉だけで
ついこの前咲き誇っていた桜を思い出して
なんだか切なくなる。
春はあっという間だし、
桜なんか本当に儚い。
地面にたくさんあるのもきれいだけど
同時に複雑な思いもする。
春というはじまりの季節は
様々なものを連れてくるけど、
桜のように切ない、
寂しい瞬間、お別れも訪れる、
なんとも言えない季節のように感じる。
その儚さがいいという人もいるけれど
私はちょっぴり苦手である。
けれど、春にしか見られない桜は大好きだ。
休みの日にもう一回見に行こうと思う。
改めて、今だからこそ、
噛みしめるようにして
お花見をしようと思う
今日この頃です。
小さい頃に戻って
もう一度、何度だって、
夢を見てみてもいいかもしれない。
童心にかえることは
時に自分の心を癒やし、
現在の状況への
ヒントや発見がある。
夢見る心は、
初心をも思い出す
いいきっかけに、
そして判断材料にもなる。
大人になっていくうちに
忘れていく、
好きなことや大切にしていたこと、
どうせ無理だと諦めてしまったことを
邪気のない心で
無条件に信じてみる、
そうすると
ミラクルが起きるかもしれない。
たまにそういうことを考えながら
日々の生活を少しでも愉しむ
ひとつの要素として
夢見る心を持ちながら、
この先出会うであろう
奇跡的な展開を楽しみに
待ってみようと思う。
届かない思いは
様々な人に、色々な形で
たくさんあるけれど、
届かないとめそめそせず、
今この瞬間を精一杯生きて、
今ある喜びに意識を向けて、
後悔もすべてを受容することができたら
どんなに素敵なことかと思う。
そうして生きていくうちに
きっとどこかで、
何かしらの形で、
または純粋な思いでつながって
届くはずだから、
嘆くのではなく
前を向いて、
ポジティブに、
そして信じて、
この先を歩んでいけたらと思う。
神様へ
願い事はたくさんありますが
ふたつに絞ります。
まず、ひとつめ。
あまり色恋は好きではありませんが、
彼に会わせて。
そしてもうひとつ、
大切な人たちみんな、
健康で愉しく長生きできますように。
いつも見守っていてくれてありがとう。