四月、新しい生活が始まる人もたくさんいるのだろう。慣れないことを始める時は、何もかもが不安だ。分からないことがたくさんで、自分で調べたり、人に聞いたりする。
こんな感じでいいのだろうか。よく分からない。手探りで進めていく。見当違いになったりしてないだろうか。何だか、ずっとふわふわして、地面に足がついてないような感じだ。
なんとかやってみて、それでいいと分かった時は、小さな山を一つ超えたみたいで、少し安心する。何でもそんなことを少しずつ積み重ねて、慣れていくのだなと思う。
「それでいい」
色々と選択肢がある中から、一つだけ選ぶのは結構難しい。たとえば何か買う時に、気になるものがたくさんあって、デザイン違いや、色違いとか、それぞれに良かったりすると、大いに悩む。
なんとか二択ぐらいに絞り込んで、また悩む。店員さんが、アドバイスをくれたりするのだけど、なるほどと思いながらも、なかなか決められない。それを手にした時、どう使うかなんて思いをはせながら、頭の中がぐるぐるしている。
そして、なんとか選んだものを、ワクワクしながら連れて帰る。開封しながら、ふと選ばなかったほうのものを思う。あれはあれで良かったなと考える。いっそのこと、両方買えば良かった? なんて思うけれど、それをしてしまうとなんか違う気がする。
やっぱり、選ぶという行為そのものが楽しかったのだ。選ばなかったほうへの思いをはせながら、使っていくのがまたいいのだろう。
「一つだけ」
こんなものをとっておくなんて、と我ながらびっくりしてしまうことがある。一緒に行ったお店のオシャレなコースターとか、もう使わないけど、似合うと言われたヘアピンとか、お揃いで買ったペンとか。
なんだか、ガラクタが増えていくだけじゃないと思う。節目の日なんかにもらったものも、もちろんうれしいけれど、何気ない日々の思い出がつまったものって、なかなか手放せない。
バッグの口が開くからと、その時、持っていたクリップを君にあげたら、ずっと使っている。「まだ使ってるの?」と言うと、「気に入ってるから」なんて、当たり前のように言われたら、思わずニヤニヤしてしまう。
何気なくあげたものを、大切にされているのを知った時、なんでこんなにもうれしいのだろう。
「大切なもの」
え、どういうこと? まったく信じられないようなことが起こると、思考がフリーズしてしまう。空耳か? あまりのことに、どうしていいか分からない。
いつも通りのことをしようとする。騒いだり、わめいたりしたらいいのだろうけれど。現実のこととは、思いたくない。何にもなかったかのようにやり過ごそうとする。
ぼんやりと名前を呼ぶ声が聞こえる。ああ、大丈夫。まったくいつも通り…。今日がエイプリールフールだったらいいのに。嘘ってなったらいいのになんて、ただただ思う。
「エイプリールフール」
桜の花が咲く。ぶわっと咲いて、一つ一つの花は小さくても、なんて派手なんだろうかと思う。それが何本もある時には、嫌でも目に入ってくる。巷では、花見の言葉があふれて、スーパーで買い物していても、お弁当やお団子が並んでいて、桜を意識してしまう。
毎年思う。そんなに桜を見たい訳でもない。でも、桜の花を見たくないなんて、そんな気分じゃないなんて言えないような雰囲気だ。今年も咲いた。その時に限ってよく雨が降る。今日も雨だ。
強い雨に打たれているのに、思ったより散っていない。花は、力強くしっかりと上をむいて、凛としている。生きている、という感じがした。
桜を見る人たちがいる。子どもがはしゃいで、長靴で走っていく。ふと、誰かの幸せを願いたくなった。幸せに。みんな幸せに。
「幸せに」