悩んだり、迷ったりして、自分でもよくわからない気がする時は、色々な人に聞いてみたりする。アドバイスをもらったり、自分で気持ちを話しながら、また、考えてみる。
たまには、最新のあのテクノロジーに頼ってみたりする。的確な答えに確かに、と思いつつ、やっぱり考え続ける。
方々から情報を集めて、考えに考えているような気がしている。でも、本当はどうしたいか決まっていて、そのことを検討しているのだ。
心の奥深いところに置いている羅針盤があって、それが示す方向に進んでいく気がしている。
「心の羅針盤」
よくしゃべるくせに、肝心なことは何も言おうとしない。なんなら、こちらに言わそうなんてしてくる。
上機嫌かと思ったら、時々冷たい。突然無口になったりして、とても面倒くさい。
それなのに、別れ際には必ず、「またね」と、ふわっとした笑顔で言う。すごくずるい。
「またね」
揺れる水面の先に、泡ができるようすは、シュワシュワ気持ちよさそう。その小さな丸の一つになって弾けてみたい、そんな気になってくる。
どうしようもなく、消え入りそうな気分の時も、シュワシュワーっと泡になって、姿を消してみたい。自分の想いも一つ一つ小さな泡に乗って弾けていく。
細かい泡がいくつもいくつも弾けて、すっきりしたら、揺れる水面に戻っていく。そのときは、また新しい自分になっている気がする。
「泡になりたい」
夏は、ひと休みの季節だと思う。
少しでも休む。だって暑いのだから。
ちょっと動くだけで、ひどい時は、ただそこにいるだけでも、汗が吹き出してきて疲れてしまう。もう、ちゃんとそこに生きているだけで、がんばっている。
だらだら過ごしても、なんならやらないことだって、暑いときは許されることもある、と思う。
暑すぎると、何だか眠くなってくる。体に休めと言われている。
日差しを浴びて、たくさんエネルギーをもらうのもいいけれど、木陰に行って風に吹かれる。
涼しいところで、ひと休みしよう。
「ただいま、夏」
年間パスポートを買うくらい水族館が好きと言う。案内してくれると言うので、行ってみることにした。
熱い日差しが照りつけるなか、水族館にたどり着いた。ひんやりした空気に包まれる。水と魚の群れが涼しげで、ほっとする。
一つ一つ丁寧に水槽を見ながら行く。何度も見ている景色だろうに、目を輝かせながら説明してくれる。
でも、水族館のカフェで、ひと休みしている今、ずっと無口なのだ。水槽の前では、あんなに話していたのに。
なんとか話題をつないでみるけれと、とうとう会話が途切れた。とりあえずニコニコしてみたら、笑顔だけで返される。仕方なく目の前の飲み物を口にふくむ。ぬるく気の抜けた、ただの青い水。
ああ。今の君も、この気の抜けた炭酸水のようだ。
「ぬるい炭酸と無口な君」