「こんにちは。死神さん。」
扉の側で男が驚いて立ちすくむ。
「うふふ。驚いているの?
目が見えないとね、他のところが敏感になるみたいで。
わたしでも知らなかったのよ。死神の存在に気づけるだなんて。」
少女は目を瞑り、男が現れる前のままのあさっての方向を向いて、手に杖を持って話していた。
「死神さんが現れるなんて…
わたし、死ぬのね。
いつ、死ぬのかしら。
………
今日のうち、かな。
なんとなくそんな気がするわ。
死神さんもそんなに長い時間いると思えないしね。」
「………。」
「いいの。わかってるの。
運命には逆らえないの。」
少女が自分の目のことを思いながら話しているのが、男にはなんとなくわかった。
夕食時、この日は少女の屋敷に親族も数名集まっているようだった。
少女の親は、視力を失った時に共になくしていた。
振る舞われた杯のうちの少女のものにだけ、毒が混入していた。
死神は、少女と親族のうちの一人のものと、杯を取り替えた。
死神は、少女に会い、話しかけられた時からきっと心を奪われていた。
ほんとうは、少女の魂を連れて、この世ではないところで共に過ごすことを望んでいたかもしれない。
けれど、死神は少女がこの先生きていく姿を見たくなったし、毒を飲んで苦しんで死ぬ様を見たくなかった。
またそれを見て喜ぶやつらの姿も。
なので死神はその毒を入れた者の魂を連れて行くことにした。
予定と違うので少し叱られはするかもしれないが、数が合うのでまあいいだろう。
「またいつか。
その時はちゃんとあなたが迎えに来てね。」
虚空に向かって少女が呟いた。
「今一番欲しいもの」
「だれかわたしの名前をしりませんか?
どこかに落としたのかもしれません。」
「おとしもの?おとしものならこうばんにいくといいよ。」
「ありがとう。」
「こんにちは、おまわりさん。
わたしの名前をしりませんか?
どこかに落としたかもしれません。」
「そんなとどけはでていないねえ。
ところできみはなんていうの。」
「…………。」
「だれかわたしの名前をしりませんか?
どこかに落としたかもしれません。」
「私の名前」
段違いになっているから
二階の窓からは裏の家の屋根が見える。
方形屋根のてっぺんに
鮮やかなイソヒヨドリが姿勢よくいる。
「視線の先には」
私だけの水色の下敷きを持って
(ふつうの透明下敷きを空にかざしただけ)
私だけの曲を鼻歌で口ずさんで
(私がてきとーに作ったからね。)
私だけの花を道端に見つけて
(こんなところに咲いてるなんてみんな知らないでしょ。)
私だけの道を歩いて
(縁石)
私だけの猫に会って
(この瞬間だけね)
かってに '私だけ' でいっぱいにしてるのを知ってるのも
私だけ。
「私だけ」
曽祖母の家に来るのはいつぶりだろう。
曽祖母も曽祖父ももういない。
近くに住む伯母がたまに手入れをしてくれていたらしい。
遠くに住む僕らが伯母に会うのを目的に久しぶりに訪れるということで、親戚が集まる場所として提供された。
縁側で西瓜にかぶりつき、庭に種を飛ばしていた。
草原、陽炎の向こうに、こどもの姿が見えた気がした。
光の眩しさもあって、僕は目を細めた。
気づくと、もうこどもは隣にいて、
「ねえ、いこうよ。」
そう言って僕の服の裾を引っ張った。
ちょうど西瓜は食べ終えた。
田舎のこどもは人なつっこいなあ。
そんなことを思いながら僕は立ち上がった。
庭履きのサンダルのまま、こどもに引っ張られるままついて行く。
「池に行くなら気をつけてよー。
昔も事故があったんだからー。」
伯母の声が追いかけた。
こどもはぐいぐい僕を引っ張っり、
足がもつれるようになりながらついて行った。
アスファルトの道から林を抜け、湖のように広い池に着いた。
池に何か浮かんでいる。
風による僅かな波でだんだん岸に寄せられた。
「さなだ ようすけ………」
サッカーボールにはひらがなで僕の名前が書かれていた。
〈とってよう!〉
〈とってよう!あれ、しんぴんなんだぞ!〉
《え…ええ…でも………》
〈でもじゃねえだろ!おまえがおとしたんじゃないか!〉
《………》
〈もういいよ!もうこうくんとはあそばない!〉
僕の全身から一気に血の気が引くのを感じた。
隣のこどもに目線を下ろした。
こどもは髪から服から全身ぐっしょりで、青白い顔で僕を見据えていた。
なんで、忘れてたんだろう。
「遠い日の記憶」