旅路の果てはない 行き止まりがあるだけだ
今のところ 私の人生ではそう
もし、旅路の果てがあるのだとしたら
その時は 一人だろうか、私の望む 二人だろうか
いや、孤独のような気がしてならない
あなたを思えば死をも怖くないと
そう思ったのも幻だったのだから
曇り空 鈍い頭痛を感じながら 散歩する
通り過ぎる景色や人々
ある老人とすれ違う
老人は ぼんやり立ち止まり、遠くを見ている
その横顔は 私の好きな詩人に似ていた
またある時は 夕暮れ
同じように 同じ道を歩いて行く
住宅街から若い カップルが 出てきた
私の前を歩いて行く
楽しげに 近づいたり離れたりしながら
どんどん先を歩いて行く
私はそれを見つめて、自分にもそのような時が確かにあったなと 遠く感じる
別の日、午前中にそこを歩いた時などは
ベビーカーをおした若い母親が 堂々と歩いて行く
もちろん 自分の子供が小さい時を思い出す
あらゆるもののそこかしこで憧憬が点在している
通り過ぎたものもまだ未知のものも
私は何かを感じ取る
あなたは私 全てを届けたい
19の春に関西から東京に出て
ある劇団 のオーディションを受け 夢やぶれ
せっかくだから 湘南の海 というのを一度見てみたいと思い 行ったことがあるな
当時付き合っていた男の子がいたが、 そういえばその子ともうまくいってなかったな
砂に書いた アイラブユーとは行かないが、意味不明の図形などを近くで拾った棒切れで書いていた
ここは眺めるために生まれたような海だと感動したのを覚えている
波打ち際に行こうとも思わなかった
海を見つめながら自分の心と素直に向き合い
ふと私は1人になりたかったんだなあと思ったのを覚えている
もちろん 家に帰れば家族がいたのだし 本当の意味での一人ではない、贅沢な気持ちだったんだけれども
心の中は一人になりたいなと思ったということ
何十年もたった今その事を思い出し、
誰にも入りこめない心の領域、
自分というのを大切にしたいなと思いました。
今日は何も書くことないや
思い出話を一つします もう随分昔の話です
若気の至りか 髪の毛 真っ赤に染めて 厚底靴で歩いてました 街を
そしたら、ある男の子に声かけられて
近くにあるお笑い劇場の場所 どこですか?って
聞かれたから、まあ 細かく教えたんですよね
それで、どうもありがとうございました!って
帰って行くから、まあよかったと思ってたんですけど 急にくるっとその人が振り返って
僕と一緒に漫才コンビ組みませんか?
って言われて、無理です!って言ったら
失礼しました!ってその人は走り去っていきました
漫才コンビ組んでたら どうなってたんでしょうね 私
本当の優しさというのを
一切の曇りもなく揺るぎない優しさと定義するなら
本当の優しさとはどこにも存在しないと思う
なぜならそれはとても瞬間的な事だから
人によって 物事 によって
あるいは時代によっても変化する
もし本当の優しさというのが存在するのだとすれば
それは 受け取る側の 心の中に存在するのだ
受け取る側が 自分の中に 取り入れて 結びつけたら
そこはもう誰にも踏み込めない 領域だと思うから