届かぬ想い
なんて、綺麗な風にするのはやめてよ
あんた達が勝手にそうあってほしいと思って言ってるんだろ
僕は別に届かせようなんて思ってない
ひっそりとささやかに、僕は僕なりの幸せを大事にしたいんだよ
だからもう、ほっといて
教室の窓からぶん投げた紙飛行機。
少し雑に折られたそれには私のストレスとモヤモヤが乗せられている。
落ちるな。
私の気分が落ちている今、せめてお前だけはどこか遠くの空まで飛んでいけ。
そうして私のストレスとモヤモヤを空の彼方へと放ってくれ。
落ちるな。
学校という狭い場所から出られない私のために、どうかお前はたくさんの景色を見てくれ。
私の分身。遠くの空までその身を運べ。
今年もまた、春が来たのか。
僕は窓の外からちらりと姿を覗かせるピンク色を見てそう思った。
僕がいる部屋はどこまでも白一色で、四季なんてものは少しも見えない。ベッドの近くにある窓から見える景色だけが、毎年僕にこっそりと、でもはっきり四季の訪れを教えてくれた。
僕は子どもの頃から大きな病気を抱えていて、今年18になる今まで両手で数えられるほどしか外に出たことが無い。毎年今度こそはと思うけれど、気持ちに身体が追い付いていかなくて。周りが当たり前のように楽しむイベントを、この無機質で狭い部屋からいつも見送ってばかりだった。
「…また、お花見に行けなかったな…」
沈む気持ちに応えるように怠くなっていく身体を横たえて、僕は静かに目を閉じた。
…カサカサ、カチャカチャ。
意識の遠いところで音がしている。
それと同時に、自分の近くで人が動く気配を感じて、僕はゆっくりと目を開けた。
すると視界に飛び込んできたのは赤、ピンク、黄色など色とりどりの花たちで。
「…なんで、はな…」
そうぽつりと呟くと、近くで動いていた人はビクッと肩を震わせた。
「…お、わぁ!?起こしちゃった?ごめんね?びっくりした〜」
そう言いながら僕の顔を覗き込んできたのはよく知る幼なじみで。相変わらず綺麗な顔をしているなぁと寝起きの頭でぼんやりと考えた。
「いや大丈夫だよ。それより、どうしたのこれ」
僕はゆっくりと身体を起こし、病室を彩る花たちを見回して尋ねた。
「どうしたのって、春だから!」
目の前の彼はそれだけを元気よく答えた。
いや、もうちょっと説明…。
僕が戸惑っていると、察したのか察してないのか彼は花を指差しながら次々と言葉を重ねた。
「これはチューリップ、これはスイートピー、これはスイセン、あとはたんぽぽもいるよ!これは名前なんだっけ…?全部ちゃんと聞いてきたんだけど忘れちゃった、ごめんね!」
彼が紹介してくれる花はどれも春に見かけるという花たちで、僕はなんとなく彼の考えたことが読めてしまった。
「ここに来る途中でね、花屋さん通ったの。そしたら春のお花がたくさん売ってて、すごく綺麗で、見てほしくてたくさん買ってきちゃった!あそこの土手の桜も綺麗に咲いててね、それ見たらますます早く見せたくなっちゃって、春が来たよーって教えてあげたくて!」
そう僕に話してくれる彼の目は輝いていて、とても楽しそうだった。
「…それで、こんなにいっぱいのお花?」
「うん!毎年お花見に行けなかったって落ち込んでるでしょ?だったらここでお花見したらいいじゃん!って思って。…あっ!もちろんちゃんと看護師さんに許可はとったよ!?」
椅子に座って両手をあわあわと動かしながら一生懸命話す彼に、なんだか笑いが込み上げてきて、僕は久しぶりに声を出して笑った。
「なんで笑うの!いっぱい考えて、喜んでくれると思ったのに!」
そう言って頬を膨らます彼はとても可愛いらしくて、僕はうりうりと頭を撫でた。
「すごく嬉しいよ、僕の病室にも春が来てくれて」
僕がそう言うと彼の顔はパッと輝いて、わーい!良かったぁと抱きついてきた。
しばらく彼の背中を撫でていると、すんっと鼻を啜る音が聞こえて、僕はぴたりと手を止めた。
「…僕なんでもするから。夏になったら夏の男になるし、秋になったら秋の男になる。冬は冬の男になるし、お花だって来年も再来年もたくさん持ってくるから。だから、」
ずっと一緒にいてね、と君は小さな小さな声で呟いた。
今は安定しているけれど、僕は1週間前まで体調を崩していて家族以外とは面会謝絶状態だった。もう何度も繰り返されるその状況に怖さは感じつつもどこか諦めと共に慣れてしまった自分もいて。
目の前ですんすんと泣く彼を見て、あぁ彼も僕に会えるまで怖かったんだなとそんなことを改めて感じた。
「…いなくなるわけないでしょ。まだ一緒にお花見にだって行ってないのに。今年は無理そうだけど、僕頑張るからさ。来年は外に連れて行ってくれる?」
そう声を掛けると、彼は勢いよく顔を上げてまかせて!と笑った。
泣きながら笑うその顔は僕達を囲む花たちに負けず劣らず美しくて。
…春みたいな君が、春を連れてやって来たなぁ。
僕は病室いっぱいに漂う花の香りを感じながらもう一度彼に身を寄せ、すっと目を閉じた。
春爛漫という言葉を表すなら、きっとこの病室と僕達がぴったりだろうと思いながら。
君は幸せになるのが下手だねぇ。
そう言って眉を下げて笑ってくれたバイト先のお兄さん。
お兄さんからすると、私はものすごく利他的な人間に見えるらしい。
残業を手伝ったり、自分の仕事以外の業務も引き受けたり、ときどきお菓子を配ったり。
私は好きでそうしているというか、そうするのが当たり前だと思っていたから自分のことを大変だと思ったことは無かった。ましてや、不幸だとも。
結果的に人のために動いてしまっている私が便利屋と言われていることも知っていたけれど、そんな言葉を投げかけられたところで揺らぐ心なんて私には無かった。
悲しむ心が無いのだから、喜ぶ心も無い。
ありがとうという言葉が無くても、驚くくらいに私は平気だった。
そこまで話して言われたのが、幸せになるのが下手だねぇ。だった。
お兄さんは言う。親切っていうのは、自分の良心から削りだされて生まれているものなんだと。良心にも限りがあって、どこかで補充しないと底をつくのだと。そこで補充の役割をするのが他人からの感謝で、多くの人はそれで満たされてまた人に親切にするのだと。
一切見返りを求めない奉仕の心だって素晴らしいとは思うけれど、与える側がまず幸せでいられなきゃ。他人を幸せにするために自分が不幸になるなんて、本末転倒でしょ?
で、君の生き方は利他的でひどく自己犠牲的だ。そしてすり減る自分にも気付けていない。だから幸せになるのが下手だってことだよ。
お兄さんは柔らかく包むような声で続ける。
自分の心もちゃんと大切にしなさい。他人を幸せにするのと同時に、自分も幸せにするんだよ。
そうやって、上手に幸せになりな。
そうしてお兄さんは、私の目元に優しく触れた。
私の心の雪解け水は、とめどなく目元を濡らし続けていたけれど。
私は何ヶ月かに一度、中身がぐちゃぐちゃになる。
泣き叫びたいのに黙っていたくて、ほっといてほしいのにかまってほしくて、眠りたくないのに寝たい。そういう風に、相反する感情ばかりで心の中が嵐のように荒れる時がある。
でも見た目は変わらないから、誰にも気付かれることはない。気付かれたくなくて何気ないふりをしているせいもあると思う。本当は誰かに気付いてほしいって厄介な気持ちも持ち合わせているけれど。
私は別に誰からも愛されたいわけじゃない。でも蔑ろにされるのは悲しいし、大切にはされたい。でも私のせいで誰かが負担を感じるのは嫌なの。
今日はそういう日。自分のぐちゃぐちゃになった中身を黙って見つめる日。だって何気ないふりして笑う自分に気付いているのは自分だけだから。