…待って。まだ帰らないで。
君の後ろ姿を私は懸命に追いかける。
入学してから今までずっと、
遠くから眺めるだけだった。
今までに2回あったバレンタインも、
渡せなくて。
…渡す勇気も無くて。
でも今年は、今日は、どうしても渡したいの。
3年生、卒業したらもう二度と会えなくなる。
絶対一生後悔しちゃうから、そんなのは嫌だから。
…だから。
「…あの!」
君はゆっくりと足を止め、こちらを振り返った。
自分の声が震えるのが分かる。
初めて君に話しかけるために使った声は、
情けないほど弱々しかった。
「あの、私…」
「君もなの?」
「え、?」
ようやく絞り出した声に被せるようにして君が言う。
「それ、俺にでしょ?…毎年うんざりしてるんだ。俺の方は好きでもないのに、渡されたって応えられないよ」
思い切り頬を叩かれたような気持ちがした。
走ったから火照っているはずの身体は妙に冷たくて、
冷水のように冷たいその言葉に目眩がした。
私はふらつく気がする足に力を入れて、涙を堪えて、
そして下手くそな笑顔を向けた。
「…そうです!もう卒業しちゃうから、せっかくだから渡そうと思って!」
頑張って私、最後まで、 明るく終わらせて。
そんな願いとは裏腹に、下手くそな笑顔は崩れて、
代わりに涙が頬を伝った。
「ちょ、」
君が目を見開いて、何か言おうとしているのが見えた。
これ以上何も聞きたくなくて、今度は私が被せるように話す。
「…でも、そうですよね。
好きでもない人に渡されたって困っちゃいますよね。私自分のことばっかりで!
……本当に、ごめんなさい…。」
泣き顔を見られたくなくて、
これ以上困らせたくなくて、
私は顔を伏せたまま、踵を返した。
来た時と同じように全速力で駆け出す。
違うのは、泣いていること。
…分かってた。
毎日女の子達に囲まれていること。
…知ってた。
毎年すごいくらいのチョコを貰っていたこと。
…気付いてた。
君はそんな日々に嫌気が差してたこと。
…察してた。
きっと女の子のことが好きじゃないってこと。
だって、ずっと、君を見てたから。
呆れるほど焦がれていたから。
走るうちにどんどん息が上がって苦しくなり、
ゆっくりとスピードを落として、そして足を止めた。
全部解ってたけど、でも、それでも。
「……せめて渡したかったなぁッ……」
初めて手作りしたチョコ
傷だらけの指先
寝不足な自分の身体
全部を抱き締めるようにして蹲り、私は泣きじゃくった。
…私の恋は始まらなかった。
『待ってて』
この言葉を聞くと、夢十夜の第一夜を思い出します。
作品との出会いは、高校の頃の現代文でしょうか。
私は物語を読むのがとても好きでしたが、悲しいことに読解力は無かったもので。
第一夜の女性の台詞が、それが持つ意味が、まるっきり分かりませんでした。
それでもこの作品がとてもとても好きでした。
女性に焦がれて待ち続けた男の人と同じように、
私もこの作品に、女性に、魅せられていたんだと思います。
文学はいいです。心が豊かになります。
作品が私の心に立てていった波風
私の心に残していった波紋
それらの名前が何と言うのか、私はまだ知りません。
ですが、文字の流れはたしかに私の心を揺らしてくれているのです。
『伝えたい』
今日こんなことがあったの
こんなことが悲しくて
あんなことが嬉しかったの
私は伝えたがりだから、
今日どんなことがあったのかをあなたに全部全部聞いてほしくなっちゃうの
あなたと些細なことでも共有できるのが嬉しくて、
止まらずにたくさん喋っちゃうの
だからね、
ちっちゃいことでも、つまらなさそうなことでも、
うんうんって相手してくれたらうれしいな
私は点Pみたいなものなんだと思う。
問題文で指示されるように、誰かから何か言われたらどこまででも、どんな風にでも動くことができるっていうか、動かせられるけど。
自分1人でこうしたいね、ああしたいねって自発的に動いていくことはできない。
だからこの場所で、自分を動かしてくれる誰かや何かが訪れるのを待ってるんだよ。
人生っていう紙の上でね。