「芙蓉、あなたはいづれ天空を統べる鳶のように、
我が家を統べることの出来る人にお成りなさい。
そして、此の家の男(をのこ)より達観し俯瞰した視野をお持ちなさい。」
「はい、お母さま。」
お母さまは、わたくしたちの住む町を見下ろせる寺院でお話しして下さった。
その日は雲が少なく晴れ渡り、遥か彼方の天空まで見ゆることが出来た。
「今の世では、男、女(をみな)、と別ける考えは古いことを理解しています。
しかし、男、女、とでは…やはり違うと母は思うのです。
此の家では表立ってはいませんが、
男より女の方がより強い力を有します。
男より女の方がより深い教養、より達観し俯瞰した視野を求められます。
それは、いつの世も男方が吾ら女を信頼して下さり、
いつの世も男方が吾ら女より力と教養を有することを許し、尊重し、
支えて下さっているのです。
この事実を、決して忘れてはなりません。
そして、此の家の皆に心から感謝をし、
言葉と行いで示すことが何よりも大切です。」
お母さまは、何時になく真剣に丁寧にそう仰せになった。
「はい、承知いたしました。」
自ずと、わたくしも真剣に丁寧にそう申し上げた。
「芙蓉、わが愛しき娘よ。
もしも、あなたが此の家を継ぐことを望んでくれるのなら、
どうか、此の家の者たちを頼みます。」
お母さまは、わたくしに目線を合わせて、
わたくしの両手を、お母さまの両手で包んで、そう仰せになった。
「わたくしは、幼き頃からお母さまの背を見てきました。
わたくしでは及ばぬことも多いかと思いますが、
心から此の家を継ぎたいと思っております。」
わたくしの言葉に、お母さまは涙されながら、
「ありがとう、本当にありがとう。」
と、嬉しそうに誇らしそうに仰せになった。
少し遅い秋が来た。
温かい飲みものと、美味しいクッキー。
休日の愉しみ。
木々や草花は朱く染まり、豊かな実りを与えてくれる。
ああ、なんと良い季節だろう。
ああ、なんと良い瞬間だろう。
微笑みに 似合わぬ眼差し 佇まい あの世で見ゆる 天女のよう
『忘れ時の 苦しみ重ね 往にし時 我が身守りて 友は去ぬる』
色紙に歌を綴り、火を付ける。
もう気持ちを切り替え、先に進まねば成らない。
亡き友のことを、後の世に遺す為に。
かつて、天動説が正しいとされていた時代があった。
天体によっては日々位置が異なり、太陽は東から昇り西へ沈む。
それなら、私のような無学の者は勿論、日々天体を観測する学者でさえ、
天動説が正しいと思うに違いない。
しかし、天動説に異を唱え、地動説を唱えた者が僅かに存在した。
当時は、望遠鏡の精度が悪いなどの天体の観測技術が乏しかったこと、
古代とは異なり、中世は宗教色の濃い時代であったこと、
(決して、宗教色が濃いからといって、その時代が悪いのでは無い。
古代と比べて衰退した学問は在るが、
芸術面では著しい進歩を遂げたという良い面も在る。)
天体観測が行われていた、おもな地域で信奉されていた一神教において、
人間が存在する地球が特別視されていたこと。
万学の礎を築いた、アリストテレスが天動説を唱えたことなどが重なり、
地動説を唱えた学者たちは、宗教的、政治的理由によって、
多くの場合、異端とされ、拷問され、処刑された。
しかし、地動説の研究は続けられ、
現在では、天体観測技術の進歩などにより、地動説が正しいと証明された。
何が言いたいかというと、
現在において、正しいとされていることを無理に信じたり、
無理に受け入れたり、しなくとも良いのだ。
現在はインターネットの普及とともに、
匿名で自在に情報の発信、共有が可能となった。
それは、組織や国などに囚われない、
情報操作のされていない、現実や事実、真実を気軽に知ることが出来る。
それは、素晴らしいことだと思う。
しかし、個人のより偏った視野、より偏った思考などが
実際より誇張して現れているようにも思う。
だから、無理するな。
年月は過ぎれば一瞬だが、人生は果てしなく長い。
自分の声という心地良さを知り、自分の声というの欠点を受け入れ、
自分の声を愉しみ、自分の声が聞こえる場所を見つけなさい。
もし、また自分の声が小さくなったり、聞こえなくなったのなら、
新たに、自分の声が聞こえる場所をまたゆっくり探せば良い。