かつて、天動説が正しいとされていた時代があった。
天体によっては日々位置が異なり、太陽は東から昇り西へ沈む。
それなら、私のような無学の者は勿論、日々天体を観測する学者でさえ、
天動説が正しいと思うに違いない。
しかし、天動説に異を唱え、地動説を唱えた者が僅かに存在した。
当時は、望遠鏡の精度が悪いなどの天体の観測技術が乏しかったこと、
古代とは異なり、中世は宗教色の濃い時代であったこと、
(決して、宗教色が濃いからといって、その時代が悪いのでは無い。
古代と比べて衰退した学問は在るが、
芸術面では著しい進歩を遂げたという良い面も在る。)
天体観測が行われていた、おもな地域で信奉されていた一神教において、
人間が存在する地球が特別視されていたこと。
万学の礎を築いた、アリストテレスが天動説を唱えたことなどが重なり、
地動説を唱えた学者たちは、宗教的、政治的理由によって、
多くの場合、異端とされ、拷問され、処刑された。
しかし、地動説の研究は続けられ、
現在では、天体観測技術の進歩などにより、地動説が正しいと証明された。
何が言いたいかというと、
現在において、正しいとされていることを無理に信じたり、
無理に受け入れたり、しなくとも良いのだ。
現在はインターネットの普及とともに、
匿名で自在に情報の発信、共有が可能となった。
それは、組織や国などに囚われない、
情報操作のされていない、現実や事実、真実を気軽に知ることが出来る。
それは、素晴らしいことだと思う。
しかし、個人のより偏った視野、より偏った思考などが
実際より誇張して現れているようにも思う。
だから、無理するな。
年月は過ぎれば一瞬だが、人生は果てしなく長い。
自分の声という心地良さを知り、自分の声というの欠点を受け入れ、
自分の声を愉しみ、自分の声が聞こえる場所を見つけなさい。
もし、また自分の声が小さくなったり、聞こえなくなったのなら、
新たに、自分の声が聞こえる場所をまたゆっくり探せば良い。
10/5/2024, 4:26:05 PM