さぁ?
その主君の言葉に、私は頭を抱える。
いい加減にしろ!
内心、激情に駆られた。そして、声に出ていた。
眼の前に居る男こと、主君はゲラゲラ笑っていた。
あなたの、こういうところが嫌いだ!と内心、悪態をついた。
落ち着け、私。
主君は、原来こういう人間だ。
無茶振りは、今に始まったことでは無い。
この手のものは、ある種の限界突破である。
認めたくないが、この経験のおかげで、
心身ともに成長できるのも、また事実なのだ。
さぁ、頑張るか。
今日も、我が主君のために。
それは、わたしの愛するもの。
それは、わたしの守るもの。
それは、やがて、わたしのもとを旅立つもの。
それは、ほんの僅かしか、その時を必要としないもの。
そのものは、わたしに多くを与えてしもの。
そのものは、わたしの心の温もり。
しろかねも、しろかねも、くがねも、たまも、なにせむに、
まされる宝、子にしかめやも。
山上 憶良
この歌ほど、わたしの宝物を表すものを、わたしは知らない。
私は、あなたを愛している。
私は、あなたの後夫。
あなたを一族に、主君に、縛りつけるために、
あなたは、私と婚姻させられた。
あなたは、時に涼しく、時に暖かく、優しく穏やかに流れる、
そよ風のような人だった。
だから、きっと、あなたは多くの愛人が居るのだろう。
決して、冷たくせず、熱くしない。
その距離感が、丁度良く、心地良かった。
私は、あなたに遠く及ばない。
知や武の才では、あなたより劣る。
あなたと私では、不釣り合いのはずなのに……。
あなたは、私を夫として、一番に愛する人として、扱ってくれる。
それが、なによりも嬉しかった。
その時が、いつ来るのか。
私には、分かりかねます。
ややこしい言い方をしましたね。
私には、分かろうとしても出来ません。
恐らく、私は人より多く、その時を経験したのですが、
未だに全くと言っていいほどに、その領域には達していません。
未来とは、私は未だ知りません。
だから、きっと恐ろしく、魅惑に満ち、予想外のことが起こるのでしょう。
それは、時に大海原の帆船に強い風が吹くように、
それは、時に底無し沼に重しを付けて落とされるように、
突然に現れる。
でも、だからこそ、その時が不幸とは限らない。
だからこそ、その時の経験が、活きる時が訪れる。
これだから、生きることは止められない。
これだから、人生は面白い。
どんな、運命も来るが良い。
どんなに堕ちようとも、どんなに苦しくとも、
私は、決して、生きることを諦めない。
何故なら、私は知っている。
この暗闇は、必ず晴れることを知っている。
その後の人生は、大きく変化し、喜びに満ちることを知っている。
わたしには、その言葉を口にすることは許されない。
「又、今度」其れすらも。
其れに近い言葉すらも、あの人を苦しめてしまう。
あの人は、甘い嘘をつかない。
あの人は、軽々しく約束できないものを約束したり、なんてしない。
誠実さと同時に、とても残酷な人。
嗚呼、どうして、こんな人を愛してしまったのだろう。
どうして、次に逢う約束が出来ぬ、あの人を愛してしまったのだろう。
あの人の帰りを待つ、その時ほど苦しいものはない。
でも、あの人と過ごす時ほど…幸せな時を、わたしは知らない。
あの人との別れの時が……いつ来ても良いように、
今日もわたしは、覚悟を決める。
今日もわたしは、あなたと過ごす時を噛み締める。
今日もわたしは、あなたを送り出す。
どうか、また、あなたに逢えますように。
どうか、少しでも、あなたの生きる時の中に、多くの幸を……。
あなたを送り出す時、心の中で、いつも祈っております。