晴れは、嫌いだ。仕事をしなくては、いけなくなる。晴れには、晴れの良さがあるのは、分かる。ただ、仕事は嫌だ。それに、サボると弟弟子に諭せれて仕事を結局しなければ、ならない。今日は、生憎の晴れだ。だから、いつもとは違うところで、サボる。これで、弟弟子の追手を回避できる、と思っていたら…先客が居た。
先客の青年は、庶民では手に入らぬ上等な着物に袴を着て、足袋に高下駄を履いていた。横には、濡れた和傘が閉じられていた。
「此処らでは、見ない顔のあんちゃんだな。どこから、来た。」と、和多志は青年に問うた。
「京の方からです。」と、品のある優しげな声で、応えた。
「ほう、それりゃあ珍しい。なんで、また。」と、和多志は問うた。
「仕事です。少々、故郷では息が詰まったので、息抜きも兼ねています。」と、青年は遠くを見ながら、困ったように微笑んだ。
「あんちゃんも、大変だな。まだ、若いんだから、体を大事にな。真面目なやつほど、あっという間だからな…。」と、和多志にしては珍しく、真剣に話した。
「有難う、ございます。本当に…。」と、青年は何故か…手で両目を覆い、下を向いた。
「おう、気ぃつけてな。」と、和多志は不思議に思いながら、その場を後にした。
久々に礼を云われ、朗らかな気持ちが湧き上がった。
こういう日は良いだろうと、酒屋で安酒を引っ掛けて帰った。
決して、褒められるような人生でも、人柄でも無い…和多志だが、礼を云われることも有る。
その時を思うと、和多志のような人生も…案外、悪くないと思えた。
『待雪草』 初めて彼女を見たとき、頭に浮かんだ。
彼女は、絹のような髪、白磁のような肌、紫翡翠をはめ込んだような瞳をしていた。
まだ齢三、四の子どもだった彼女は、刀に魅入られた。
彼女は、こちらをじっと見る。和多志の刀を振るう姿を、稽古する姿を、いつも凝視した。
今の平和な世で、女である彼女が、刀を振るう必要がない。そもそも、彼女はこの家の人間では無い。あくまでも、此処に一時的に預けられただけに過ぎない。
この家の家業は、御様御用(おためしごよう)。刀剣の試し斬り役にして、死刑執行人。
この家で刀を習うということは、死刑執行人になることと同意義なのだ。
「刀を習いたいか。」と、和多志は彼女に問うた。
「はい。」と、彼女は凛とした、真っ直ぐな眼で応えた。
「和多志の見習いとなり、相応の努力をすれば、死刑執行人になれる。女は、死刑執行人には成れない。女を捨てる覚悟は、有るのか。」と、和多志は彼女に問うた。
「はい。」と、彼女は覚悟を決めた眼をしていた。
後に、彼女は首の皮一枚だけ残し斬首する、最年少の死刑執行人となる。
そして、その技力から後世に語り継がれることとなる。
『激しい』、この言葉を彼女は体現したような人だった。
わたしの愛人の中で、最も繊細で、嫉妬深く、猫みたいに可愛い人。
一見すると彼女は 強く、激しく、美しい。
しかし、素の彼女はどこか寂しげで、人一倍に繊細な人だった。時より彼女は、猫のように甘え、満足すると猫のように去っていく、わたしのもとを。
なんだか、少し寂しいけれど ちょうど良い関係。
そんな彼女らしいところに、わたしは、ずっと惹かれている。
にぎやかな音。いつもの此の場所とは、違う雰囲気。いつもとは、違う側面を持つ場所。
屋台が開かれ、人々が賑わい、囃子の演奏を聞きながら、皆、どこか嬉しそうに話している。
彼らの雰囲気は緩み、この時だけは、ごく普通の子どもの表情に変わる。
彼らには、この時はいつも小遣いをやる。勿論、いつもの賃銀とは別途である。いつもの感謝を込めて、年に一度くらいは必ず、小遣いをやるようにしている。
彼らの楽しそうな、嬉しそうな、明るい表情。 なんだか、ほっとする。
この時間が、いつまでも続けば良いのに。
『ねぇ、あなたは幸せ?それとも不幸せ?』妖艶な甘い声で、問われた。
「不幸よ。」と、わたしは応えた。
『ふふ、はっきりというのね。』狼の目をした美しい女が応えた。
『あなたには、ふたつの選択肢があるわ。ひとつめは、わたしの子どもになる。ふたつめは、再び地獄のような生活に戻る。さぁ、どちらが良いかしら?』と、甘い声でわたしに問うた。
「貴女の子どもになる。」と、覚悟を決めた。
『本当にいいの?一度も、逮捕されたこと無いけれど、わたしは、何度か、事故に見せかけて、人を殺したことがあるの。』甘さの無い、真剣な声だった。
「あの生活に戻るくらいなら、なんだって良い!」意志の強さを感じられた。
『じゃあ、契約成立ね。』美しい女は、弾んだ甘い声で応えた。