虫の音が響く。強く照り付ける陽の光が、肌をジリジリと焼く。陽炎が見えるほど暑い日だった。
こんな日は、今迄になかった訳では無い。こんな時に外には出ない性分だったが、用が有ったのだ。なんの用かは、忘れてしまった。
でも、其の帰りの事だった。白き人を見た。其れはそれは、幽霊見たく肌が白く、髪も白い。目を閉じているのに、器用に煙管に火を付けて吸っていたのが印象的な麗人だった。
「どないした、おまえさん。そないなとこに突っ立って、ワレになんか用かいな。」と、澄んだ優しい声で話掛けられた。
私は、まさか気付いているとは思わず、しどろもどろした。そんな私に気付いたのか、鈴が転がるみたいに高笑いをして…煙管に口付けた。
その仕草が、妙に妖艶で…その瞬間だけ鮮明に覚えていた。
子どもだった私は、「幽霊どすか。」とおずおずと聞いた。
「おまえさんは、幽霊怖いか。」と白き麗人が聞いた。
「怖おす。」と私が応えると。
「そうか…。気ぃつけてな。」と、少し悲しげに微笑み手を振った。
私は、幼いながらに申し訳なくて「やっぱし怖ない。ほな、また。」と言いなんだか照れくさくて、目を逸らして走った。
白き麗人の顔は見れなかったが、嬉しそうな声で「おおきに。」と聞こえた。
辺り一面を流れる淡い緋色の水。空は、明るく白い雲に覆われて顔を出さない。人は全くといっていいほど居らず、なんとも孤独で、夢見心地だった。
首から足にかけて濃紺の包帯が巻かれ、その上からクレ染めの装束を着て、手には刀を持っていた。よく見ると何時もより手や足がひと回り小さい。頭巾を被って居らず、何だか落ち着かないが懐かしくもある。子どもの頃に戻ったみたいで、心地良くて鼻唄を唄ってしまいそうだ。
遠くから声が聞こえて、目を凝らす。
今は亡き最愛の人と同じ声だった。
声が小さくて聞こえず、近寄ろうとした時だった。「まだ、此方には来るな。」と、明瞭な声が聴こえた。
次の瞬間、目が覚めた。
僕は、まだ知らなかった。あの時の感覚を…。兄様の云う、感覚を。僕にとって血の繋がりがある唯一、生き残った兄である貴方に甘え過ぎてしまった。貴方の心情を汲まず、多くを背負わせてしまっていた。
貴方は、何時も微笑む。どんなに苦しい時も、どんなに感情が揺れている時も…決して隙を見せない。実の弟である僕を前にしても、いや違う、兄弟だからこそ、決して見せない。不安を見せれば、どれだけ辛いかを悟らせてしまう。どれだけ、己の器に見合わないか感じ取ってしまう。
だから、貴方は…兄様は、実の弟たる和多志に見せる訳にはいかなかった。どれだけ、心に深く傷きながらも此の地位を保っているのかを。どれだけ、和多志が貴方の立場を脅かし、貴方の立場を危うくさせているかを。
幼き頃の…未熟な和多志には貴方に対し、どれだけ酷なことをしているのか分からなかった。
あの時、最後に逢った在の時、貴方は初めて和多志に見せた。
言霊と云う…感情と云う…かたちで和多志に見せた。貴方の心の奥底に封じてきた、叫びを。溜め込んできた思いを。