過ぎた日を想う。
懐かしい、若かりし日を想う。
ぼくの傍らには、いつもきみがいたね。
いろんなことを一緒にした。
花見、旅行、登山、海、スキー、
クリスマス…。
こうして我らの滅亡を目前にして、
過去のなんと美しいことか。
今、我々は滅びる。
「…おはよう、母さん」
トントンと階段を降りてくる少年。
母さんと呼ばれた女性は、
「まあなんて顔。夢見でも悪かった?」と
声をかける。
少年は、食卓のパンをかじりながら
「うん、なんだか、
滅亡だとか滅びるだとか、暗そうな夢」
母は、チーズオムレツを
少年の前に並べながら、
「それじゃまるで、テラの今みたいね。
滅びゆくテラの、最後のメッセージでも
受け取ったの?本当に夢見使いに
なれるかもね」
少年は嫌そうな顔をしながら、
「やだよ、夢見使いなんて。
火星の中心の神殿で、
朝から晩まで経典読むんだろ?
俺はエンジニアになるの」
と、少年は時計を見て、
「あ、もうこんな時間!じゃ、
もう学校行くね」
慌てて家を飛び出した。
外は赤茶けた火星の大地。
テラーー地球からの移民政策が始まって
もう130年。自分の意思で地球に残った人も
いるとかいないとか。地球は、
たくさんの記憶と共に、
滅びようとしていた。
星座
星座と聞いて頭に浮かんだのは
宮沢賢治の「星めぐりの歌」。
宮沢賢治の詩で
最近知ったのは
「山の晨明に関する童話風の構想」。
一部引用しますと
「つめたいゼラチンの霧もあるし
桃いろに燃える電気菓子もある
またはひまつの緑茶をつけたカステーラや
なめらかでやにっこい緑や茶いろの蛇紋岩」
いやあ
私には出来ない表現!
宮沢賢治さすが!
かっこいい
と
ほぼ宮沢賢治を紹介したいだけの回
踊りませんか?
踊り…たいねえ。
ダンスが中学校で必修になったのは
2012年だそうだ。小学校では 表現運動 と
名前こそ違えど、
今の子たちは9年もダンスを習う。
私が小学生だったのははるか以前なので
とても踊れない。
やっぱり若い頃にかじっておいた 何か は、年取ってから、
効く。
お嬢さん、踊りませんか?
喜んで!
このワンピースなら、ちょっとしたパーティにも着て行けますよ
と同じで、
(踊るような)ちょっとしたパーティなんて
ありゃしないけど、
そんなワンピースもないけど、
憧れるねえ。
はあ、踊りたい。
遠い長い人生のどこかで
またあなたと巡り会えたら
何度でも ありがとうを伝えよう
あの日 出会ってくれてありがとう
また 出会ってくれてありがとう
いつまで一緒にいられるか わからないけど
これからもよろしくねと
*ハートマークが1000を超えました。
できるだけ毎日投稿しています。
これからもなるべく頑張ります。
応援ありがとうございます。
たそがれ
黄昏時 夕暮れ 人生の盛りを過ぎた頃とも
私が十代、二十代の頃、今の私の歳の方は
おばちゃんだった。
おばちゃんはおばちゃんであり、
せいぜいテレビのワイドショーを見て
煎餅をかじる、くらいのイメージしか
なかった。
何かを成した、若しくは成している最中、
なんて思いもしなかった。
今の私は、どうなのだろう。
何を成して、何を成している最中で、これからは何を成すのだろう。
奇跡をもう一度
逢いたい人がいる。
徐々に、歩く道が分たれてしまった人。
突然に、引き裂かれてしまった人。
あの世に逝ってしまった人。
あの世に逝ってしまった人には、
もう少し待ってもらうとして、
勇気を出して、
逢える人には逢っておかないと。
コロナ禍のようなことがまた起こらないとは限らない。
縁は、結び直せるものかもしれない。