夜
嵐の夜
風呂に入る
庭の薔薇が揺れている
野犬が鳴いている
その頃
産院の新生児室では
まだ目も見えぬ赤ン坊が
じっと宙を見つめていた
嵐がくる。
非常食とランタン、毛布
窓の強化、あと何があるかな。
裏のガケも危ないな。
そうそう、いつだったか、
「犬をしまえ」っていうツイートあったな。
不謹慎だけど笑っちゃった。
犬は大きな音苦手なんだよな。
あっ、明日の花火大会、中止かな…。
楽しみにしてたのに。
明日のことなんかより、今目の前の嵐だ。
集中集中。
ハザードマップの確認と、
家族の避難場所の確認
ああ、嵐がくる
子どもの頃、季節は今の時節だったろうか
皆んなで遊んでいると、
祭囃子が風に乗って、
聞こえてくることがあった。
わたしのふる里で、祭りといえば獅子舞。
それは賑やかなものではなく、
どこか寂しげな調べであったが、
それが聞こえてくると胸が高鳴り、
「お祭りやってる!行こう行こう!」と
その方角に当てずっぽうに
飛び出すのだった。
今思えば、祭囃子の練習を
していただけだったかも知れないし
ほんとうに祭りだったかもしれない。
いつもたどり着けずに終わってしまった、
子どもの頃の思い出。
人はパンのみにて生くるものにあらず
本当にそうだなあと思う。
地域の人の交流サロンに、
ボランティアで関わった時、
それを感じた。
サロン開始前、常連さんが
それぞれの持ち場で忙しくする中、
ぽつんと所在なさげに座っている方がいた。
良かったら、受付をお願いできますか
と声をかけた。
すると、次の週も、その次の週も、
すすんで受付をするその方の姿があった。
笑顔で、明るく、はきはきと。
人は、何かの役割があり、
誰かの役に立っていると思うと、
生きていけるもの、というお話。
2023.07.26
性格診断などしてみると、
たいてい
他の人のために頑張る人 に分類される。
自己犠牲のあまり、
自身の不調に気づけなかったりする。
思い当たる節、ありまくり。
溺れている人を助けようとする
私の乗っている船が沈みかけていたら?
溺れている人だって
いや結構です
と、言うだろう。
私はわたしを 愛したい
鳥を飼っていた。
よい声で鳴く鳥だった。
私は鳥に おと と名づけ、
おと おと と呼んでかわいがった。
ある日 おと は消えて、その代わり
うつくしい女性がそこに居た。
私たちは時を経てむすばれた。
そんな私たちの間に、子が宿った。
だんだんと大きくなるお腹を
2人で撫でながら、
子の名前を考えた。幸福だった。
しかし子を我が手に抱くことは
できなかった。
おとは泣いた。
泣いて 泣いて 泣いて…。
私は云った。
泣くな と。もう泣くな と。
私はおとの悲しい声を聞くのが
耐えがたかった。
どこまでも自分の感情が大事で、
おとの感情に寄り添えなかった。
だから、それから3日のち、おとは消えた。
尾羽ひとつ、鳥かごの底に残して。