キャンドルといえば書物、というイメージがある。また、その組み合わせが好きだ。
なのに実現しようとすると、危なくてできないというジレンマが悲しい。
それなら、キャンドルを模したLEDライトを使えばいいのでは、という声が聞こえてきそうだ。
LEDライトであれば、書を、ゆくゆくは家を燃やしてしまう恐れはない。炎のゆらめきを疑似体験することもできるだろう。
しかし、キャンドル型のライトだと、蝋が溶けていく様子を見ることができない。時間の経過を味わいながら読書をする、という楽しみ方はできないのが、唯一の欠点だ。
いつか、蝋が溶ける様子も再現してくれる、キャンドル型のライトが売り出されたらと、願わずにはいられない。
今日のテーマ「たくさんの思い出」から、自分自身のものを振り返って、気づいたことがある。
思い出作りとは、思い出を作ることではない。
思い出となること、つまり何が印象に残るかは、各人や状況によるからだ。未知のものを作ろうとすることは、できない。
しかしそれだと、思い出を作ろうとして、作っているのは違うもの、ということになる。
それなら、一体何を作っているのか。
思い出は印象だというのなら、意外なことが起こりやすい状況は、思い出を作るはずだ。
思い出作りで遊園地などに行くのは、それが理由だろう。
だから思い出作りというのは、思い出ではなく、思い出の素となる状況を作ることなのだ。
思い出作りという言葉に対する、子供時代からの違和感が消えた。
冬になったら、どんなイベントがあるのか。これについて調べたり、考えることが楽しい。
たとえばクリスマス。当日に向けた限定カフェメニューや雑貨は、見ているだけでワクワクする。最近、休日に雑貨店巡りをしたら、無意識に10km歩いていた。
イベント当日よりも、その準備期間に充実を感じるほうである。
だから「冬になる」というイベントも、まだ来なくていい(よかった)。何なら、今日から1ヶ月くらい秋が続いても、私は嬉しい。
冬服の用意がないんだ。