膝を抱えて踞る。
狭い部屋の真ん中で。
たった一人きり。
そこで僕は想像する。
この世のあらゆる事柄について。
そこではどんなことも自由で。
そこではどんなことも許される。
そんな世界に浸りきり。
そうして僕は傷だらけになったこの心を。
幾許かの間だけ癒している。
そうしないと。
現実に折り合いがつけられない。
この広い世界のどこかにある。
この狭い部屋の真ん中で。
今日も僕は何かを変えたくて藻掻いている。
【狭い部屋】
本当に大切だった。
報われずに終わってしまった想いだけれど。
それでも、恋をしていた時は苦しいくらいに幸せだった。
この大切さを知っているのは私だけで。
この大切さを糧にしていくのも私だけだ。
【失恋】
嘘吐きが得をして、正直者が馬鹿を見る。
そんな世の中にしてはいけない。
なんて、そんなことをどこかのお偉いさんが言ったとしても。
ふと思うのだ。
果たして正直は美徳だろうか。
正直過ぎて墓穴を掘った愚か者を、たびたび目にすることもある。
結局はどんな時代も、嘘吐きだろうが、正直者だろうが、馬鹿な奴が馬鹿なのは変わらない。本音も建前も利口に使いこなすことが、上手く世の中を回すには必要なんじゃないだろうか。
──と言うのが、自分の正直な感想である。
【正直】
天気予報で梅雨入りが宣言される。ここから頭はフル回転だ。週間天気予報とにらめっこしながら、まるで雨の日の隙間を縫うようにしてときおり現れる晴れマークをチェックする。
明日から五日間ほど雨が続くならば、今朝はできるだけ早起きして、大量の洗濯物を端から並べるようにして、干す。干す。干す。我が家に乾燥機などという高価なものはない。このささやかな恵みのような太陽光を目一杯に活用するのみである。
え? コインランドリーがあるだろうって?
残念ながら我が家があるのはどこぞの片田舎。すぐそこら辺にそんな便利なものが建っているわけではないし、わざわざ車を走らせて遠くのコインランドリーまで向かうのも、ぶっちゃけ面倒である。
はぁー、まったく。
梅雨なんて、何がいいんだろう。
そんなふうに溜息をこぼしながら、洗濯物を洗濯ばさみに留めていく。
ふと見上げれば遠くの空に、薄ぼんやりとした小さな虹がかかっていた。
おっ、綺麗だなぁ。
思わずポケットに入れてあったスマホを構えた。
【梅雨】
まず、会話の始まりは挨拶から。
初めまして、おはようございます、こんにちは、こんばんは。
親しみのこもった爽やかな笑顔を添えてそう告げた後、ごく自然な流れで天気の話へと移行する。
今日はいいお天気ですね、昼から暑くなるそうですよ、昨日の夕方に突然降り出した雨にはさすがに参りました、など。そんなふうに続けておけば、大抵の相手ならすぐに和やかな様子で話題に乗ってくれる。僕は今までこのやり方で様々な人との仲を培ってきた。より良い仕事はより良い人脈作りから。
つまり会話のきっかけを掴むのに、誰に対しても無難な天気の話は、とても便利なトピックなのである。
・・・・・・と、今までの僕はそう思っていた。
だが、しかし。
時に例外というものは存在する。
「お前は無能か、有能か、俺が知りたいのはその一点のみだ!」
ソファーの上でふんぞり返るその男は、僕とは今日が初対面であるにも関わらず、不躾にもこちらに向かって思いっきり指をさしてきた。
「社交辞令の挨拶も、相手との距離をはかるための無難な会話も、俺には不要だ。そんなものは時間の無駄に他ならない」
高らかにそう宣言した男は、長い足を優雅に組む。テーブルを挟んだ向かいのソファーに座る僕を、まるで値踏みするような視線で眺め遣った。
なるほど。稚拙な繕いなど最初から求めていないということか。ならばこちらも回りくどいことはやめて、本音で話し始めるとしよう。
だって、僕も本当は──。
【天気の話なんてどうだっていいんだ。僕が話したいことは、】
──ただ、ひとつ。
「僕は有能ですよ。僕と一緒に仕事をしたいなら気を付けてください。下手なことをすれば、あなたがいま座っているその椅子が、次に僕が座る椅子になるかもしれませんからね」
澱みのない僕の答えに、向かいに座る男が些か面を食らったように目を丸くする。しかし次の瞬間には、何とも楽しげな不敵な笑みを、その口元に湛えていた。