熱い鼓動
日も暮れて空も暗くなってきたが、辺りは提灯がぶら下がり、明るく照らされている。道には人がごった返し、普段はもっと静かな神社も、この夏祭りの日には賑わいを見せている。
俺と親友の2人は、午前中から親友の家で夏休みの宿題をして、それからこの夏祭り会場へ遊びに来た。
「にしても人多いなぁ」
「しゃあないよ、夏祭りやもん。人は多いもんやろ」
「せやなぁ、それより何食べる?焼きそば?たこせん?かき氷?」
隣を歩いている親友は、屋台飯に興味を惹かれているようだ。俺はどうしてもさっきの件で夏祭りをどう楽しもうなんて考えられなかった。親友の部屋で一緒に宿題をしていた時のちょっとしたトラブルだった。
あの後、アイスを受け取りに行った親友は、なんて事ない顔をして戻ってきた。まるで何事も無かったかのようで、その時は暑さにやられて変な妄想をしていたのかと思っていた。
でも、考え直してみたら、やっぱり夢でも妄想でもなく現実に起こった出来事で、それを理解してからは、どうしてもそのことばかり考えてしまう。
「おい、さっきからぼーっとしてるけど大丈夫か?」
「え、ああ。大丈夫。何食べようか迷ってもうて」
「それやったら俺焼きそば買うから半分こして食べようや、その方が他の屋台の飯も食えるしええやろ」
「ちょっとここで待っとけ!」と言って親友は人混みの中に消えていった。手持ち無沙汰になった俺は、飲み物でも買ってようかと思ったが、変に動いて合流出来なくなっても困るとその場で待つことにした。
待っていると、さっきのことを余計に考えてしまう。あいつはあの時、何を思っていたんだろう。俺たち、キスしかけたんだぞ、なにか思うことがあってもいいだろう。思わず自分の口元に手が伸びる。
ドクドクと脈打つ鼓動が熱い。今はこの火照りを夏祭りの熱気のせいにしてしまいたかった。
「お、ちゃんとおったな。焼きそば買ってきたでー」
「……バーカ」
「は?今なんで俺、罵倒されたん?」
なんて事ない顔をしてるこいつに思わず悪態をつく。理不尽に罵倒された親友は頭をひねり、罵倒された理由を考えている。親友に赤くなった顔を見られないように、俺はそっぽを向いた。この熱い鼓動は鳴り止みそうにない。
タイミング
蝉の声が聞こえる。麦茶の入ったコップから雫が流れ、氷がカランと音を立てた。室内とは思えない暑さに、俺は思わず唸りを上げる。
「あつーい……」
昨日の夜、エアコンをつけようとしたところ、うんともすんとも言わず、泣く泣くオンボロの扇風機を押し入れから出してきた。オンボロの扇風機は、それだけだと温い風を回す程度で、部屋は全く冷えない。
「ごめんなぁ、こんな暑い部屋で宿題なんて」
「気にせんでええよ、エアコンが壊れたんも仕方ないって、寿命やったんやろ」
こんな暑い部屋にこの親友は、俺の夏休みの宿題を教えるという目的で来てくれている。こいつも一緒に宿題を進めているが、その進捗は俺の1.5倍といったところだろう。
「それに夕方になったら一緒に夏祭り行くんやし、早く宿題終わらそうや」
「うーん、暑さで頭回らん……」
問題を眺めて見るが、目が文字の上で滑っていく。問題を解く気にもなれず、目の前の親友の顔に視線を向ける。
(前から思ってたけど、綺麗な顔立ちやなぁ……)
ふとそんな事を考えていると、視線に気づいたのか親友もこっちを向いた。お互い、何も喋らない。頭が暑さで回らない。思考がドロドロと溶けるような感覚がする。
ぼーっとした思考で気付けばお互いに顔が近付く。あと少し、もう少しで当たってしまいそうな、そんな距離。
触れる――
「ただいまー!アイス買ってきたでー!」
バッと距離を取る。遠くから聞こえた声に意識がはっきりする。買い物に出かけていた母が帰ってきたのだ。今自分は何をしようとしていたんだろう。心臓がバクバクと音を立てる。顔に熱が集まる。
「アイス取ってくるわ」
親友の顔を見れなくて、俺はその場から逃げるように部屋から飛び出した。あのまま母が帰ってこなかったら何してたんだろう。でも、声が聞こえたとき、タイミング悪いな、なんて思ったことは自分だけの秘密にすることにした。
「タイミング悪……」
逃げ出した俺は真っ赤な顔をした親友の零した言葉を知らない。
虹のはじまりを探して
「あ、見て!虹が出てるよ!」
そう言われて僕は指された方向を見た。そこには夕方の赤く染った空に、綺麗な虹が掛かっていた。
「本当だ!綺麗!」
思わず綺麗な虹に見とれてしまう。こんなに綺麗な虹が見れるなんてラッキーだ。
「ねぇねぇ、虹ってどこから来てどこへ行くんだろう?」
「え?うーん。虹のはじまりかぁ……」
虹のはじまりってどこにあるんだろう……考えたこともなかった。見たことあるって人も聞いた事がない。本当に虹のはじまりなんてあるのかな。
「じゃあさ、僕たち2人でいつか探しに行こうよ!虹のはじまり!」
「え、でも虹のはじまりって本当にあるのかな」
「あるかどうかを僕たちで見つけるんだよ!」
その言葉に心がワクワクした。僕の小さな体に秘められた大きな好奇心がバクバクと鼓動を刺激する。
「うん!行こう一緒に!虹のはじまりを探しに!」
僕たち2人はいつかの冒険を夢見て、赤い夕日を背にし、家へ帰った。
きっとその冒険はとても素敵で、忘れられないものになるんだろうな。そんなことを考えながら。
オアシス
社会人になって数年、社会の荒波に揉まれた私は行きつけの喫茶店に来ていた。来店を告げる鐘の音と共に店内へ足を進めれば、心を落ち着かせるコーヒーの香りと「いらっしゃい」というマスターの優しい声が聞こえてくる。
「マスター、カフェモカください」
「かしこまりました。今日もお疲れ様です」
疲れた時にはいつも、あの甘くほろ苦いカフェモカが飲みたくなる。マスターもそれをわかってくれていて、私がカフェモカを注文するといつも労わってくれる。
少しすれば上にホイップクリームとチョコレートソースがかけられたカフェモカが出てきた。それを飲み込めば、待ち望んだ甘さとほろ苦さに身体が歓喜する。
「はー、私はこのカフェモカのために生きてるのかも」
「おや、それは嬉しいですね」
マスターとの会話も楽しい。会社であった嫌なことをここでは思い出さなくて良い。冷えきった心がじんわりと温かくなるのを感じる。
残ったカフェモカを飲み干した私は、荷物を持って立ち上がった。
「ご馳走様でした。お会計お願いします」
お会計を済ませた私は扉を開けるとマスターへ振り返った。
「また来るね」
「はい、またのご来店お待ちしております」
来た時と同じベルを鳴らして扉が閉じられる。これで明日からの仕事も頑張れる。
ここは私の心のオアシスだ。
涙の跡
「ただいまー」
言ってみたけれど、時計の針は0時を過ぎている。同居人も既に寝ているだろうと、物音を立てないよう慎重に部屋に足を踏み入れた。
「あれ?」
リビングへ続く扉の窓から光が漏れている。同居人がまだ起きているのだろうかと、ゆっくり扉を開けると、そこにはソファに座った状態で寝落ちしている同居人の姿があった。
「おーい、こんなとこで寝てたら風邪ひくぞー。自分の部屋のベッドで寝ろー。」
軽く身体を揺すって見るが起きる気配がない。仕方がないと部屋から使っていないブランケットを持って来ようとした時、ふと同居人の頬に涙の跡があることに気付いた。
寝る前に感動できる映画でも見て泣いたのだろうか、それとも夢を見て泣いたのだろうか。そんなことを考えていると、同居人がどんな夢を見ているのかが気になった。
どんな夢を見て泣くのだろう。あわよくば、俺の夢を見て泣いてくれたらいいな、なんて思ってしまった。