タイミング
なにか上手くいかないことがあるとタイミングのせいにしたくなる。
たとえば、彼氏にフラれたこととか。
私をふる理由を聞くと、まだ付き合っていない3回目デートで泊まりのキャンプに誘ったことをあげられた。
相手の家族に不審な女だと思われたそうだ。
直球で言うと、私が宗教団体に誘う目的でキャンプに誘ったと勘違いされたらしい。
ちょうどキャンプの予定日に3回目デートの候補日が重なったので、一挙両得を狙って誘ってみたのだ。
提案すると元カレは二つ返事でついていくと言ったのに、家族に反対されたとは、知ったこっちゃない。
その前の彼氏は私からふった。
これもタイミングが悪かった。
正月休みに彼の実家に行ってご両親に挨拶をする予定だった。
クリスマスの時点で結婚するなら義父母と同居という条件があげられていて、私の中で8割受け入れられなかった。
彼のおおらかで楽観的な性格も同居生活にマイナスにはたらくとジャッジしていた。
残りの2割は彼のご両親がとても素敵な人である可能性を考えていた。
それなら、まだ結婚もありかな、と。
そんなはずが私が訪ねる前日に彼の実家が地震で被災した。
そのまま結婚の話は流れてしまった。
今朝の朝ドラ「あんぱん」を見ていると、男が女に告白しようとするといつも邪魔が入る。
我々視聴者はじれったくなってヤキモキするのだが、やっぱりタイミングなんか気にせずに決めたことはドンと貫くのがカッコいいと思う。
虹の始まりを探して
小学生のとき、虹の橋のふもとに行きたいと隣町まで追いかけたことがある。
隣町までの距離じゃ少しも近付かなくて、さらに隣町まで行くと私だけで足の踏み込んだことのない地域になるので諦めた。
虹がとても大きいことを思い知った。
子供の足じゃ、どんなに頑張ってもたどり着かない。
虹の橋はぼんやりとしていて見えないけれど、虹の橋を下から見てみるとどんな風に見えるのか気になったのだ。
中学生になって、理科の授業でそんな光景があり得ないことを知った。
私たちは、太陽の光が雨粒に反射して目に入ったものを虹として見ているからだ。
つまり、私たちが虹を見ているとき、私たちの背中には太陽がある。必ずある。
きっと虹の橋の下にたどりついたときには、天は雨空なのだ。
大人になっても虹の下にはたどり着かない。
その理由を知った。
オアシス
私の心のオアシスは
いつだってお母さん
いつも私の話を聞いてくれて、ありがとう。
涙の跡
涙の跡が乾いても、ずっと悲しい。
涙をぬぐうこともできずに、後から後から涙が出た。
嗚咽が止まらない。
なんで、なんで、
原因を考えれば考えるほど、どうしてこうなった?
と感情がぐちゃぐちゃに壊れていく。
やめて、と叫ぶ自分の声に狂った音がする。
お願いだから、家族で争わないで。
目の前で繰り広げられる光景は
何の解決にもならない争いだ。
勝ったも負けたもない争いだ。
両者にとって傷をつくるだけなのに
絶対に後から後悔すると分かっているのに
何でこんなことが起こるのか?
その原因の一端に家族である私も関わっている。
手をあげたのは私ではないが、手をあげることになった環境を作ったのは私かもしれない。
かもしれないと言っている時点で責任転嫁も甚だしい。
家族である時点で責任は私にもある。
涙をぬぐう元気もないし、涙の跡が乾いても
私の心はぐちゃぐちゃだ。
どうしてこうなった。
そして、家族がぐちゃぐちゃになっても明日はやってきて、私は仕事にいかなきゃならない。
最悪だ。
半袖
半袖の時期になると無駄毛が気になる。
袖の長めのシャツを買うとなると、デザインも限られて種類も減ってくる。
けど、必ず袖の長めの服を買う。
私が私を守るために。