夏が嫌い。
私から全部奪っていくから。
「名前教えてよ」
聞かれて答える名前は大体決まっている。
「リコ」
「ミオ」
「アンリ」
私に興味がない人は「いい名前だね」と言うし
私を知りたい人は「どう書くの?」と言う。
わかるでしょ?本当の名前じゃないの。
私がどんなに美しい名前だったとしても
相手には関係ない。
私にも、関係ない。
「これ、お前の?」
あのときハンカチを拾ってくれたあなたは
きっと覚えてないだろうな。
全部、あなたが好きだと言っていた季節から
とった名前だよ。
あなたを忘れた日なんて1日たりともなかった。
「ハル」
そう言って私を呼んでくれたことも。
好きな季節が春だと教えてくれたことも。
全部夢だったかのように
遠い夏の夜空が全部持っていっちゃった。
あなたも、思い出も、愛しさも。
ああ、だから夏は嫌い。
[私の名前]#19
夜のネオンに息を吐く。
タバコの煙なのか、ため息なのか、今の私には区別もつかない。
肺の空気が抜け切ったところで屋上の手すりに背中預け、ちらりと隣を見やった。
「……で、なんだっけ?」
「だからぁ、本当に後悔してないのって」
これでもか、と髪をぐるぐるに巻いたブロンドの女が、責めるように眉根を吊り上げる。
「あー」
ふと階下をみると、若い男が中年のサラリーマンを怒鳴りつけ、建物の壁に追いやって暴力を振るっていた。
「……なんて言ったらいいか分かんないけど、」
適当な言葉が思い浮かばない。どんな言葉もご立派すぎて、チープな私の身の丈に合わない。
「後悔だらけの人生で、今が1番楽しいよ」
柄にもなく、笑ってしまった。
隣の女も釣られたのか、小さな笑い声が口から漏れる。
「じゃあ、いこうよ」
女は私の手を取って、力強く握りしめた。
「そうだね」
私は静かに頷いて、一歩前に出た。
強い風に私たちの長い髪が揺れる。
最期にサラリーマンと目が合った気がした。
[手を取り合って]#7