今更という他なかった。
東京行きの新幹線の発車時刻は
刻一刻と迫っている。
見送りはいらないと言ったのに
この男は何故か私の座っているベンチに
同じように腰掛けている。
何を話すわけでもない。
チラリと隣を見ても
彼はこちらを見ることなく
私があげたネックレスを
感触を確かめるように触っている。
アナウンスが鳴り響き
新幹線がホームに入ってきた。
荷物を持って立ちあがろうとすると
何かに引っ張られて再び座らされる。
違和感のもとを辿ると
私のシャツの裾を握る
彼の手がそこにあった。
怒りで眩暈を覚えたのは初めてだ。
彼の手を振り払い新幹線に乗り込む。
振り返ると
閉まるドアの向こうで
私と同じ顔をした彼が
何かを伝えようと必死に口を動かしていた。
ねえ 気づいてる?
私たち
想ってるだけじゃだめだったんだよ。
歪む視界のなか
胸は締め付けられ
呼吸もままならない。
【行かないでと、願ったのに】#199
翠緑色の革表紙を
割れ物を扱うように優しく開いた
書き記した全てを
一言一句漏らさぬようになぞり
慈しむように写真を撫でた
好きな食べ物
よく飲んでいる物
最近の悩み
仲のいい友達
明日は苦手な古典の授業
気怠げにロッカーに向かい
乱雑に教科書を取り出し
机の上に放り投げる
後ろの席の子に
「ねぇ、今日どこあたる?」と
困ったように問いかける
嗚呼 全てわかる
キミのことはいつだって
なんでも記した
ひとつも見落とさないように
切り落とした髪
剥がれたネイル
全てのページを掻き集めて
偽物のキミを
作ることだって容易さ
【秘密の標本】#183
風と共に吹き抜ける
風鈴の音
チリン と甲高い音に紛れて
風と共に舞い込んでくる
疲弊した魂
[風鈴の音]#171
はじめまして
ああ
私を見ているのね
違うわ
貴方が見られているのよ
今もさっきもこれからも
みんな気づかないの
さあ
次に来る"貴方"は
一体
[誰かしら?]#166
楽しいことも辛いことも
私の海馬は記憶できない
完成したパズルのピースが
ひとつ またひとつと
抜け落ちていくように
懐かしい声が
記憶を呼び覚まそうとしているのに
跡形もなく溶けていく
ああ 名前を呼ばないで
涙が止まらないの
差し出された手を取っていいのかさえ
私にはわからない
あなたは誰?
ああ
私は?
[あなたは誰]#155