あの頃僕は小学生だった。
スリープ状態にしたゲーム機を持ち歩いていると、誰かのアバターが僕のゲーム機を訪れ、それが戦力になる。
昔々、まだ夜道を照らす灯もなく、人々の住まいは一日の半ば近くも真黒 な闇の中にとざされ、その闇の奥から時折狼の遠吠えが、野原を渡る風の音に まじって気味悪く聞こえて来ていた頃、恐らく星は、人々にとって今よりも遙 かに身近で重要な存在だった。
一日の仕事を終えて粗末な褥に身を横たえる前のひとときや、東の空の白むのももどかしく眠りから目ざめたとき、彼らがき まって振り仰ぐ星空には幾つもの親しみ易い図形が待ちうけていた。
その或るものは美しい乙女が天に舞う姿を思わせたし、また或るものは大きな獅子となって頭上から彼らを威圧するかのように見えた。
そのような図形や相互の配置のおおよそを、恐らく多くの人々はそらんじていたであろう。
実際、満足なあかりも、そしてまた、その下で読むべき何物をも持たなかった人々にとって、 星空は彼らの涯しない夢をはぐくむただ一つの、そしてそれ故にこそ何回となく読み古された物語のようなものだった。
『物理学序論としての力学』藤原邦夫
昨日は今年になって初めてヒグラシの声を聞いた
もしかしたら気のせいかもしれないしそれよりもっと前に聞いていたのかもしれない
声を聞くというのは何かを見るということに比べて曖昧だ
だからこそ
そこには意志が介在する余地が存在する
透明
透明と言うとき、大体の場合僕らはそれが存在しないように見えることを意味する
しかしそれは可視光が影響されないという意味でしかない
もしかしたら僕らには見えない電磁波が吸収されているかもしれない
「透明」と言って誰にも「あなたの感想ですよね?」と言われないようにするのは難しい
生きる意味
これを考えると最終的に「なぜ世界が存在するか?」という問いに到達するのではないだろうか?
生物は子孫を残すために生きるという人がいる。それは完全な答えではない。
子孫を残したら一体何になる?
生物がいなくたって恒星はその最期まで核融合を起こし、惑星や衛星は恒星に温められながらその死を待つだけだ。
ではなぜそもそも恒星や衛星、そのもとになる物質、はたまたそれらが存在する世界が存在するのだろう?
この問いはいろいろな方法で解決されようとしているように思う。それは、もう少し浅いところでとどまっていたかもしれないが、かつては哲学だった。
いまこの問いを解決するための手段は科学であり、僕は、人間やその他の生物が存在する理由は、それを究極まで突き詰め、「なぜ世界が存在するか?」という問いの解決を、それぞれの方法で、微力ながら助けたり、ごくごく一部のものは、それに直接取り組むために生きるのではないかと思う。