まる猫

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3/31/2023, 9:44:59 AM

 “コトッ”

 私の横に湯呑みが置かれた

 ちょうど喉が渇いてお茶を取りに行こうとしたところ

 『あら、ありがとう』

 背中を向けて何か作業をしている夫に声をかけた

 “ん”

 声なのかうめき声なのか分からない返事が

 返ってきた

 次の日も

 眼鏡やくだもの、えんぴつや新聞など

 そっと側に置かれた

 相変わらず背を向けていそいそと作業をしている夫に

 “ありがとう”と声をかける

 夫もこちらを見ることなく

 なんともいえない声で返事をする

 ある日私が新聞を読んでいると

 “コトッ”

 と何か置かれた音がした

 何だろうと思いそちらに目をやると

 そこには可愛らしい木彫りのうさぎが置かれていた

 『あら。可愛い』

 『お父さん、このうさぎどうしたの?』
 
 『懐かしいわねぇ』

 そう声をかける

 昔戦後で何もない時代

 夫が私のために作ってくれたうさぎ

 懐かしくてついつい眺めていると

 “結婚してもう70年になる。わしももう年だ”

 “わしが初めてお前にプレゼントした木彫りのうさぎ”

 “あれをお前は大層気に入ってくれたなぁ”

 “日に日にわしの手の力も衰えてきよる”

 “お前にもう一度だけ”
 
 “このうさぎを作りたかった”

 “お前には苦労ばかりかけてしもうた”

 “お前が居なくなってもう5年は経つ”

 “わしももうすぐじゃ”

 “それまで、寂しくないよう”

 “それを持って待っといて欲しい”

 そう言いながら夫は泣いた

 『あらあら、私の前では泣いたことはなかったのに』

 『ふふふ、大丈夫ですよ』

 昔っからぶっきらぼうで天邪鬼なあなた

 私はいつもあなたの隣で見守っていますよ

 柔らかい風が夫の背中を励ますように撫でる

 仏壇に背を向け涙する夫とそんな夫が心配で

 ついつい留まってしまっている妻の不思議な物語

               『何気ないふり』より
 

 
 

3/30/2023, 8:45:10 AM

 スポットライトに大歓声

 私は今、舞台に立っている

 そう

 私の舞台だ

 客席からは拍手喝采

 あぁ

 もっと もっと

 まだまだ終わらない

 私の終劇(フィナーレ)は

 こんなものではない

 さぁ 演(み)せてあげよう

 私だけの完璧な終劇(ハッピーエンド)を!

              『ハッピーエンド』より

 

3/26/2023, 10:25:22 AM

 “あの子のあの服可愛い”

 “あの子のあの靴どこで買ったんだろう?”

 “あの子の仕草は本当に可愛い”

 “あの人のスタイルすてき”

 “あの女優さん本当に肌きれい”

 “あの子の”

 “あの子の”

 “あの子の”

 “あの子の”

 ““““いいなぁ、、、””””

 私もあんな風になりたい

 なんて

 あまりにも寂しいね

 みんなそれぞれ努力している

 みんなそれぞれ他の人にはないものを

 持っている

 よその芝生を見るよりも

 我が家の芝生を見てみようよ

 自分でも知らない

 でも
 
 他の家にはない

 自分だけの花が咲いているはずだから

              『ないものねだり』より

3/25/2023, 11:47:24 AM

 “別れよう”

 私はその言葉をぐっと飲み込んだ

 桜の下で無邪気に笑う彼

 半年前突然この人に告られた

 同じクラスの人だなぁとしか思っていなかった私

 一生懸命に告白してくるこの人に押され

 ついつい承諾してしまった

 すぐに言い直そうとしたけど

 すごく嬉しそうなこの人を見て

 つい押し黙ってしまった

 そして初めて2人で迎えた春

 日が暮れ始めたとき

 突然彼が花見をしようと言い出した

 バタバタ準備して今に至るが

 私はまだ彼に言い出せていない

 彼は私と居るとき

 いつも笑顔だ

 何がそんなに嬉しいのか

 ずっと話しかけている

 私もそんな彼を見るのは、、、

 嫌いではない

 嬉しそうに手を振っている

 あれ?目が疲れたかな??

 なんだか耳と尻尾が見える気がする

 彼は大きな声で何か叫んでる

 いつの間にかだいぶ離れてしまったようだ

 私は彼の元まで小走りで向かった

 前にいる彼が夕日と重なって

 眩しくて目を細めてしまう

 桜と夕日と彼

 絵のようだ

 そう思ってしまうくらい

 綺麗な景色だった

 彼の顔が見えるくらい距離が近づいた

 すると彼は優しく微笑んで

 手招きをする

 彼はときどきそんな顔をする

 私は息を整えながら彼の元へ行く

 動悸は何故か治らない

 桜の下にいる彼はずっと待っていてくれている

 “別れよう”

 そんな言葉はすでに風と共に去っていった事に

 私はまだ気づかない

             『好きじゃないのに』より

3/21/2023, 11:06:34 PM

 “知ってる??”

 “桜の枝って花が咲く前にその枝先を”

 “ピンク色に染めるんだよ”

 “なんだか素敵じゃない?”

 “誰も見ていない時から”

 “桜の木は春の訪れを知らせているんだよ”

 月明かりに照らされた君は

 ほのかに白く光っていた

 桜の木を挟んで

 立っていた

 君は唇が弧を描くように笑うと

 “また会えたね”

 と呟いた


                 『2人ぼっち』より

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