狭い部屋について
・狭い部屋でも、2つパターンがある。
ひとつは、元々狭い部屋。
もうひとつは、元は狭くないけど、物が多すぎて狭くなっている部屋。
今の時代こそ、断捨離やミニマリストという言葉が流行っていて、物を減らすのが良いと世間は考えている。
でも、分かっていても捨てられない人もいる。いて当然だ。生活が豊かで多趣味な人ほど自然と物は増えるし、思い出の品とかは尚更捨てられない。
人生は長く、長く歩んでいくほど思い出は増えていく。その人の見てきた世界、創ってきた世界は、とても広い。
その膨大な世界をその狭い部屋に何とか敷き詰めているのだ。物を一つ捨てるのは、とても偉大なことだとは思うが、捨てるものを間違えると、世界が壊れてしまう危険がある。
こんなことをミニマリストに話しても多分理解されない。その世界は自分の胸の中に入れておけばいいではないかと言われるであろう。だが、記憶に残っているとしても、それに触れることができない悲しみは記憶以上に残るであろう。
もし狭い部屋が嫌で物を捨てて広くしたいと思うのならば、慎重に捨てるものを選ばないといけないが、何も捨てれないなら、何も捨てなくて良いと、私は思う。その内、好きなものが詰まった部屋として好きになるかもしれないから。
梅雨について
・梅雨になると、湿度を求める生き物たちが外に出てくる。そして、シャワーを浴びているかのように雨粒を浴びて、湯船に浸かるかのように水溜まりに浸かっている。
・窓に雨粒がたくさん、一日中付いている。梅雨が来た。
梅雨になると身体は何となくだるくなるが、なぜか嫌いではない。
雨の音が、癒される。梅雨は恐らく、家でゆっくりしなさいというメッセージなのかもしれない。
・世界に、梅雨のある国はどのくらいあるのか。少ないのだろうか。
雨の全く降らない国にとっては、梅雨を羨ましく思うだろうか。彼らの気持ちは分からないが、私が彼らだったら、多分梅雨を羨ましく思う…かもしれない。
・…ところで、なぜ梅雨は"梅"雨と書くのか。
半袖について思ったこと
・半袖を着ると、何だか解放されたような気分になる。肩の重くなる上着、セーターから解放されるのだ。
・半袖になると、行動の自由が許される。両腕を真上に上げて背伸びをしたり、バレリーナがやってるような、片足を頭の上まで上げるあのポーズだって気楽にできる。
半袖を着ただけで何でもできるスゴい人になったような気分だ。半袖は着る人に行動の自由と無限性を与えてくれる。
これから半袖の季節が続く。秋まで。自由の始まりだ。
月に願いを🌛
今夜は星にではなく月に願う。
なぜかって?月の方が大きく見えるし、月が夜空の星の中で一番近いからさ。
一番近い星に願い事をすると、より確実に願いが叶うのだろうか。
今実現させたい、挑戦したいことが山積みで、胸がドキドキしているのだが。
その機会がすぐ目の前にあるのに、自分はさせてもらえることができない。
自分は不器用で要領悪い、世間知らずだからやめとけと。
でも、やってみたい。そうでなきゃ勿体無い。葛藤が強く、涙が出そうになる。
月は大きいから、夜空の数多の星に埋もれることはない。宇宙ではちっぽけな存在だが、地球から見ると夜空を治める王様のようだ。
もしかしたら、地球で月にお願い事をすると、夜空の星中にもお願い事が届くかも。
そんな淡い希望を持っては、願い続けた。
雲がなくても降り止まぬ雨
お題『いつまでも降り止まない、雨』
長き梅雨が過ぎ、空は明るくなってきた。
花や草、車、建物は雨の雫を落とし、生き物は元気に外に出る。
雲は跡形もなく消え、太陽は地上を優しく見つめるように照らす。
しかし、一人だけ雨の中に取り残された人がいた。彼は先の見えない未来に希望を見出だせず、悲しい表情を浮かべ、水溜まりを見つめている。
水溜まりに映った自分の顔は、雨雲のようにどす黒い。見れば見るほど情けなくなり、悲しくなり、涙が溢れてきた。
彼はまるで雨雲のように大量の雨を降らせた。水溜まりに映るもう一つの世界に。
空がどれだけ雲がない心地いい天気でも、彼の心は降り止まぬ雨でいっぱいだ。
彼の梅雨は、いつ終わるのだろう。