短い小説 『美しい』
万里は町行く人々を眺めていた。
人々の顔を見るたびに思う。この人はなんでこんな面白い顔をしているのだろうと。
やけにふさふさした髪。ツルツルな頭。やけに濃い髭。やけに寄った目。広いおでこ。たらこ唇、etc…。
だから面白がって勝手に占ったりしていた。この人は肌が白いからインドア派だなとか、髭が長いから自信家なのかなとか。
だが、そんな中で美しいとしか言えない人を一度だけお目にかかったことがある。何と言うか、顔のパーツが全て美形で、尚且つ整った組み合わせなのだ。
その人を見た時、一瞬だけ目が合った。だが、向こうはこちらのことなぞ気にもかけていないし、見てもいないだろう。
こんな辺鄙な町に来るということは、この町に用があるということだ。もしや、誰かの恋人か?すると、やがて結婚するのだろうか?それならいつでも会えるな。と、にやにやと笑っていた。
そう笑っていた時のことを思い出す。夢のひとときは一瞬だった。その人はそれ以来一度もこの町に来なかった。
なんだ、恋人に会いに来たのではないのか。
もし恋人がいなかったら、ナンパしとけば良かったと、今も窓の外の遠くを見つめた。
私が思うこの世界は
・この世界は、実に気まぐれ。
ある日では誰かに優しく、誰かに厳しい。
またある日では優しくしてたはずの人に厳しく、厳しくしてたはずの人に優しくなる。
まるで、一人一人をアメとムチで育てているかのようだ。
・現代は昔に比べ、だいぶ自由になってきた。SDGsという考えもあり、どんな人でも自由に生きる機会が増えた。
ただ、そんな世の中でも、優遇される人というのはいるようだ。
それは、自分を表現できる人だ。自分らしく生きている人だ。“自分らしく”というのは“こうあるべき”ではなく、自分がやりたいことを自由にやって、自分の思っていることをはっきりと言えることだ。
世界はいつも同じ人を見れるほど暇ではない。だから常に“アメとムチ”は起こる。だが、自分という者を発信すれば、世界は振り向き、思っていることを理解してくれるだろう。
我慢するのは損をしている。これは間違いない。
世の中空気を読まずにバンバン喋っては好き勝手生きてて得をしている人もいるから、いかに我慢が損か分かる。
自分がこれは言いたいと思えば言えばいいし、自分がやりたいことをすれば、間違いなくこの世界を有意義に生きていけるだろう。
君と、七草と、一緒に
春の七草粥はとても美味しく、食べると幸せになる。
仲間の皆の分を買うと大量になるため、大変だが、喜ぶ顔を想像するとそんなのは気にしていられない。
かつては無病息災を願い、七種類の野菜を入れた汁を食べていたのだとか。先人の智恵が、昔から人々を元気にしていたようだ。
私たちもこれに習い、無病息災を願い、仲間と、そして大切なあの人と、七草粥を食べたい。
幸せとは何か
・幸せとは何か?
簡単な話、自分が何の不安や悩みもなく楽しい気持ちでいられると幸せである。それは誰しも頷けるし、そうでありたいと思っている。
だが、幸せは望んで手に入るものかというとちょっと違う気がする。幸せは、自分が落ち着ける場所があり、やりたいことをすることで自然と感じられるものだと思う。逆に幸せを追いかけようとすると、心にゆとりがなくなり何が幸せか分からなくなってしまう。
・自分がこうした方がいいんじゃないかと思うことはとことんやる。小さいことは特に。
モヤモヤがある時点で幸せでないから、そのモヤモヤの原因が分かっているなら、いち早くそれを解決するべきだ。そうすると心は気持ち良くなるし、達成感も得られさらに幸せになる。
・何となく幸せを感じられるなら、それは幸いだ。
とにかく大切に噛みしめるべきだ。その幸せな気持ちは、今までの自分が良いと思ったことをしてきた集大成であり、これから先も幸せになれることであろう。
新年のご挨拶
新年、あけましておめでとうございます。
『書いて』というアプリを始めてから初めてのお正月を迎えました。
私自身、ある創作の長編小説を書いており、このアプリで文章力を鍛えようと思って始めました。
今までたくさんの散文や小説を書きましたが、このアプリの言う通り、書くと気持ちが楽になりますね。特に『放課後』というテーマに関しては、もろに気持ちを吐き出したような内容になりました笑
自分が思っていることをアプローチすることは大事だと、改めて思いました。シンプルなだけに、使い道はまだまだたくさんありそうです。
毎回たくさんの“いいね”をいただき、ありがとうございます。励みになり、とても幸せな気持ちになります。
これからも、テーマに沿ったことや、それ以外のことも書いていきますので、どうか、よろしくお願いします。