「お待たせしました。カルボナーラをご注文のお客様」
「はーい」
Yが店員に、愛想よく返事をする。向かい合って座る私はわずかに体を引き、続けてプッタネスカという名前の赤いトマト色のスパゲッティが目の前に置かれるのを、黙ったまま見ていた。
「あーいいなぁ、Aのも美味しそう。ねぇ、ひと口ずつくらい、シェアしない?」
「……いいよ」
Yの提案も、私が首肯するのも、いつも通り。
Yが慣れた様子で店員に取り皿を頼み、取り皿が運ばれてくる間に私は、そっと彼女の皿を眺めてみた。
「……『どうして』ヒトが選んだのって、美味しそうに見えるのかしらね」
実際私は、そんなふうに考えたことはなく、それはこれまでも、そしていまもそうで、けれど。
自分のセリフとして言ってみることで、Yのことを、少しは理解出来るかもしれない──そう、思ったのだ。
「ね! 不思議だよねー」
ひと口分を盛り付けた取り皿を交換し、私と彼女はやっと「いただきます」と手を合わせる。
冷めたパスタの皿をぼんやりと眺めながら、これって女子二人客のよくある光景なんだろうな……と、メタ認知的視点の私が面白がっている。
──でも。
私にはやっぱり、彼女を理解することは出来なさそうだわ。
「……美味しい?」
「うん! わたしも今度は、こっちにしてもいいなー」
ああ、そんなノリなんだ。
パスタも、そして……彼のことも。
小学校の頃からの親友、とかいう肩書きで、ずっと──目隠しを、されてたんだ。
「フフッ」
思わず、吹き出し。
そして少しだけ息を吸ってから、私は言った。
「……じゃあ、これ。奢るから、食べて? いままで言わなかったけど私、取り分けってあまり好きじゃない。パスタも、男も──Kのことも、Yとシェアする気はこれっぽっちもない。……ああ、でも、」
私は立ち上がり、伝票を手に取りながら続ける。
Yのフォークにからまっているパスタが、まるで食品サンプルのようだ。
「親友? の意味がよくわからないけど、もうそういう関係でもないんだし。シェアする心配なんて、しなくていいよね!」
言い終えると私は、唖然としているYを一度も振り返らずに、置き去りにし。わざわざ現金で会計を済ませて、それから店の外に出た。
『ねぇねぇ、ひと口ちょうだい?』
『うん、いいよ!』
ふと思い出したのは小学生の頃の、他愛ないやり取りで──。
「あー! スッキリした!」
思わず、声に出していた。
でも、そうだ。スマホの連絡先、消去したい──どこか店に入って、注文したパスタを待ちながらにしようか?
「思ったんだけど。この三日間のお題ってさー」
「え? 今日は『夢を見てたい』で昨日が『ずっとこのまま』、おとといは『寒さが身に染みて』で……」
「つまり──寒さが身に染みて、ずっとこのまま夢を見てたい」
「意味が通った。なんか、布団の中にいるっぽい?笑」
「絶対布団の中だね! で、それで、思ったんだけど。お題のヒトはね、たぶん二度寝しちゃったんだと思う」
「はい? 二度寝?」
「二度寝からの寝坊&遅刻」
「あー……『このまま夢を見てたい』って現実逃避したくなる事態?」
「そう。しまった、やらかした〜! の後の、絶望タイム笑」
「でもこの言い方……この後、頑張ってちゃんと起きてそうじゃん? このまま夢を見てたい、だがしかし、そんな訳にもいかない──」
「そうそう、絶対起きて、ちゃんと仕事か学校かに行ってるよね。マジメなヒトなんだよ、なんせこうしてお題にすることで、自分を戒めちゃうんだから」
「わざと自らの黒歴史を他人に公開してみせるんだ、同じあやまちは二度と繰り返しません、って……マジメだな〜」
「ねー? 寝坊したらそのまま仮病使って休んじゃえ〜とか、考えたりしないヒトだよ、きっと」
「まぁ、でも……なんかさ。こういうマジメなヒトが報われる世の中であってほしいもんだな」
「だね! もしかしたら、マジメさゆえに気苦労も絶えなくて、それでよく眠れなくて、寝坊しちゃったのかもだよなぁ」
「『夢を見てたい』──うん、ちゃんと寝ろよ!」
「いい夢見てねー! って、お題のヒトはこれ、読んでるかな?」
「……マジメなヒトだから?」
「えっ? まさか、この無数の投稿をすべて、とか……? いやいやいや、読まんでいいから、ちゃんと寝てくれー!」
『ずっとこのまま』どこにも行かず、一歩たりともここから動かずにいる、そんなわけにはいかないんだけど、どうしても心が動かない、心が動かないから動けない、けれどもう心を揺らしたくはなくて、だって揺れる心を持って口を開くとロクなことがないからで、だけどそれを持たないことには、文字の羅列を望むように紡げない──ああそうか、心が動かないんじゃなくて、動かし方を忘れたフリをしてるだけ、もう揺らしたくないから、傷つかずにいられると思い込んでいるこの場所に『ずっとこのまま』いたいから、でもしがみついたその場所が『ずっとこのまま』、未来永劫そこに有り続けるとは限らないのにね?
普通の冬の装いだけでは『寒さが身に染みて』しまうお年頃になった私にとって、ダウンベストはもう欠かせない存在だ。
初めは外出用の一着だったのが、室内用にもう一着を買っていた。あったかいのに身動きの邪魔にならないところがいい。夜寝るとき以外ずっと、ダウンベストを着ている──うん? 待てよ?
寝るときには、羽毛布団。
起きてるときは、ダウンベスト。
……ダウンベストって。
言ってみれば、ウェアラブル羽毛布団、だったり?
ああ……そういえば。
昔、ダウンジャケットが出始めた頃に人が着ているのを見て「なんだか布団みたい、クスクス笑」って、思ったこともあったっけ(昔のダウンは今のよりもっとモッサリしてた、と思う)。
若かった頃は「そんな布団みたいなの着てまで防寒するなんて、クスクス笑」とか言えちゃうくらい、寒さにはそんなに弱くなかったんだけど。
月日が過ぎ、気がつけば私も"お年頃"になってしまったからね、ためらいもなくダウンを重宝している、という訳です。
うん、こんなに軽くてあったかいウェアラブルお布団──薄手のダウンがある時代で、本当に良かった! こうなったら、ダウンスカートも買っちゃおっかなー?
『20歳』と『三日月』
「──なにも変わらなかった」
20歳が三日月に言った。
「17歳や18歳、19歳のときと同じ。ただ昨日が今日になって、すぐに明日になっただけ、ワタシも世の中も、なにも変わらなかった」
「そりゃ、そうだろ? この世は基本、なにも変わらない。少々歳を重ねたところで、オマエはオマエでしかないのだから」
「アナタは──見る度に、その姿が変わるのに?」
「スポットライトの当て具合が違うだけだ。光の加減でオレは、マッチョにも、いまのようなヒョロヒョロの優男にもなる。だがオレは、未来永劫、オレでしかない」
「ああ、そういう……三日月のアナタも満月のアナタも、アナタはアナタである、と」
「フン……まぁ、そういうことでもいいか」
三日月は鼻で笑い、そして続けた。
「で? オマエは、どんなふうに変わりたかったんだ? いや待て、当ててやろう。いまのオマエじゃないなら、なんでもよかった──ここではないどこかへ行きたかった〜、とか、どうせそんな感じだろ?」
「……普通に、腹が立ちますね?」
「フッ、腹が立つなら重畳。まぁせいぜい、いま現在ココにいる、オマエのままでいることだ。そのまんまのオマエでもな、意外と、なんにでもなれるぞ? ……オレと違って、な」
それから──月日が過ぎ。
かつて20歳だった者は、久しぶりに見上げた夜空に三日月があるのを見つけ、三日月と話したことを思い出した。
「……アナタは。変わらずにそこにいる」
かつて20歳だった者は続けた。
「ワタシも、どんなにあがいても結局、ワタシのままでしたが。でも何者かには、なれたかもしれませんし、これからも……まだ、なんにでもなれる。アナタとは違って」
三日月からの返事はなく──かつて20歳だった者は、ふいっと三日月から視線をそらす。そして背に月光の当たる熱にも気づかず、一人夜道を行くのだった。