冷たい雨が降る
もう
そのうち乾くだろと
平気で濡れていられない季節になった
何しろ夜には気温が下がる
バイクは時速六十キロで走るから
歩いているときより十度は低い
風は容赦なく体温を奪っていく
指がかじかんで麻痺すれば
ハンドル操作を誤るかもしれない
私はゴソゴソとごわつくレインコートを着て
ばちばち雨粒に打たれる音を立てながら
雫を落としながら荷物を運ぶ
ああ
本格的な冬になったら
氷のような風に吹き曝されたこの顔は
まるで一枚の板のようになる
唇の感覚はなくなって
「お届け物です」と口に出すのも一苦労だ
温まろうと一粒のチョコレートを口に入れても
凍えた舌には溶かすだけの熱もない
日が暮れて夜になったら
濡れたアスファルトはイルミネーションの光を反射して
ちらちらと鬱陶しく光る
靴の中で足趾の細胞が紫色に壊死する感覚
ビルの間を吹き抜ける風は、ナイフのように頬を切る
冬が来る
冷たい雨が降る季節
軒下のふくら雀に、私は尋ねる
やあお前たち、裸足で寒くないかい
羽毛いっぱいに乾いた空気を含ませた雀たちは
笑って答える
人間さんこそ、この雨のなかをお仕事で、
雨宿りもできずにお寒いでしょう
ああ全くその通りだと私は笑った
確か去年の今頃にそんな会話をしたのだった
ああ
今年も冬が来る
冷たい雨が降る季節がやってくる
受け取ることよりも、与えることに喜びを見出せと
古今東西の先賢たちは言う
それが正しいことだからではない
それが立派なことだからではない
手っ取り早く幸せになる方法だからだ
苦悩を遠ざける一番手軽な方法だからだ
与えられること
受け取ること
得ること
失うこと
手放すこと
奪われること
人生にはどっちが多いか
考えてみりゃわかるだろ
生きてりゃ避けて通れないことだ
いちいち悲しんでちゃ身が持たない
だからなにも
神経を麻痺させろとは言わないから
掴めなかった美しいものに
遠ざかってゆく愛しいものに
微笑んでさよならを言えってんだよ
並んで座っている老夫婦
何か話しているわけでもなく
微笑み交わすわけでもなく
さして仲睦まじくも見えず
まるで
ただ一緒に座っている
えらいなあ
何がえらいって
あんな澄まし顔をしてるところだよ
あの二人の間には
さぞかしいろんなことがあったろう
そんなことはおくびにも出さずに
何でもないようなふうをして
黙って静かに座っている
えらいじゃないか
ああいうふうになれるなら
歳をとるのも悪くないと言えるだろ
イチョウの葉っぱを踏みながら
公園のベンチの前を通り過ぎ
私はそんなことを考えた
少し歩いてから振り返ると
やはり老夫婦は座っていた
一面黄色な背景に
地味な色彩の老夫婦
一幅の絵画のような美しさ
宝物か
陳腐な言葉だよ
きらいだね私は
宝という字を見てみりゃいい
玉という字の上に蓋があるだろう
大事に大事に仕舞い込めというのさ
そして壊れやしないか、盗まれやしないか
心配し続けろとさ
えい 馬鹿馬鹿しい
思い出が宝物というなら
認知症になるかもよ
自分の子が宝物だというなら
縁を切りたいと言われるかもよ
地震と火事がいっぺんに起こって
全部灰になるかもよ
その時どうする
泣き喚くのか
打ちひしがれるのか
痛いほど愛しいそれらのものに
もう二度と触れることができなくなったとき
そのときになってようやく気づくのか
本当に大切なものこそ
自分のものではなかったんだと
それとも
また何か別の
執着するに値するものを見つけて
その上にどっかり尻を据えるのか
それとも経験こそ宝物だとかいう
あの屁理屈を捏ね回すのか
なんでもいいさ
好きにするがいいさ
私は大切なものこそ手放して
両手を自由にしておくよ
心から愛しいものに向かって
さようならと手を振るために
キャンドル
ろうそく
同じものだよ
そう
だんだん短くなっていくやつ
灯りに使うんだよ
ここに火をつけて
蝋が燃えるだろう
明るくなるんだよ
ほんの僅か暖かいよ
それから煤も出る
ほんの少しね
今のはパラフィンでできてるのかな
昔は蜜蝋で作ったそうだ
いい匂いがしたろうね
火をつけないならこうして
箱にしまっておこう
長いこと保つよ
ああ
それじゃ意味がないか
燃えて、光って、短くなって、消えて
それでこそなのかもな
人間とおなじだな