#変わらないものは無い
自分が同性愛者だと、家族にカミングアウトした時、
家族は、泣きながら俺を抱きしめながら、
「それでも、いい。そのままの薫を愛している」と
責めることをせずに、優しく受け止めてくれた。
心底ほっとした。
でも、安心しすぎたんだ。
当時、交際していた恋人は俺とは逆だった。
家族に、不安や恐ろしさを覚えながら、ひたすら、
真剣にカミングアウトしたそうだが、その真剣な思いは
お兄さんにしか伝わらず、両親からは、様々な罵詈雑言
を浴びたという。
その恋人の名は遼といった。
俺も、お兄さんも、遼を励まし、最大限の優しさで
包み込んだ。心を病まないように。
ある日の夜中、布団に身を包もうとした時に、
1本の電話が鳴った。
遼からだった。
内容は、冷や汗で体が凍りそうなほど最悪。
「愛してくれてありがとう。生きることがこんなに
辛いと思うなんて、想像してなかった。ごめん、次は、
来世で俺を愛してくれない? ごめん、愛してる。
また、来世で」
あいつは、遼は、笑って隠そうとしていたけれど、
始終、押し殺したような泣き声が漏れてた。
電話が切れる前に、もしものことがある前に、
後悔したくないから、俺もその言葉に答える。
「俺も、愛してるっ! 辛いよな、辛いよな……。
でも、先に行くなっ。来世でも愛してやるからっ!
こっちの世界でも最後まで愛させろ!」
急いで、お兄さんに連絡し、会話を絶やさないように
足をとにかく、速く、速く動かしながら、全速力で遼の
家に向かった。
途中、遼からの返答が途絶えた代わりに、鈍い音が
耳の奥に染み入るように響く。
自分がこの上なく焦っていることが分かる。
まもなくして、遼の家に着いた。
さっきまで進めすぎるほどに進めていた歩を止める。
目の前には、仰向けになり、血に塗れた遼がいる。
何がどうなっているのか、状況を理解できず、過呼吸
が治まらない。
それでも、何とか救急車を呼び、遼と一緒に救急車で
運ばれた。
1ヶ月後、飛び降りた遼よりも、俺の方が身体が
悪かったようで、目を覚ました時には隣に、俺の手を
握り、大粒の涙を嗚咽と共に流している遼がいる。
遼は、比較的致命傷とならない高さから飛び降りた
ため、運ばれた日に目を覚ました。
一方で俺はというと、何やら激しい過呼吸のせいで、
一時的に心臓が正常に働いていなかったらしく、目を
覚ますのが遅くなった訳だ。
病室には、お兄さんも居て、遼の家族もいる。
情報量が多すぎて脈打つような頭痛が止まない。
突然、遼の父親に頭を下げられた。
そして、目元にぐっと力を入れながらも、頬に透明な
液体を流し、俺に向けて謝罪と感謝の意を告げた。
遼の意思や生き方を自分が否定したばかりに、
遼の命も俺の命も危険に晒してしまったことを申し訳
なく思っている、と。
そして、誰よりも遼のことを理解し、愛してくれて
いたことを感謝してもしきれない、これからも、愛して
やって欲しい、2人に幸せになってほしい、とも。
俺たちの関係は認められた。
泣くつもりなんて無かったのに、俺の意思に反対して
目頭が熱くなる。遼と同じように大粒の涙を流した。
あの出来事が過去となり、数年経った今、俺と遼は
同棲を始め、結婚こそできないが、新婚旅行などに行き
互いに愛し合い、充実した毎日を送っている。
お互い、家族にカミングアウトして反対されようと、
2人の間に愛がある限りは、無敵だと思っていた。
でも、そんな淡く脆い夢は、目の前で、音を立てて
崩れた。
変わらないものなど無いと思った。
それでも、崩れた破片を積み上げて、遼のことを
信じて、愛を信じると、それは覆せる。
事実として、結果として、それは証明されている。
この世に、変わらないものは無い――そんなものは、
努力と自分の心次第で覆せる。
#クリスマスの過ごし方
クリスマス、戸籍、人種を関係なく人々に幸せを
与えてくれる日。
クリスマス休戦をご存知だろうか。
国同士の争いで、戦争をするため兵士として巻き
込まれた者達がいた。
ついさきほどまでは、一人ひとりが、会ったことも、
話したこともない人間を傷つけ合い、己の命を守ろうと
必死になり、その場は殺意や敵意の思いで満ちている。
でも、あの日は、味方も敵も関係なく、ただ同じ人間
として遊び、はしゃぎ回ったあの日は、クリスマスの日
だった。
クリスマスに休戦した戦争のことを、
クリスマス休戦と、人は言う――。
#イブの夜
「イブ」と聞くと、誰もがクリスマスイブを
思い浮かべるだろう。
クリスマスイブといえば、カップル達が街に出て、
かじかむ手を握りしめ合いながら、イルミネーション、
とやらを見に行き、街はたくさんの恋が飛び交うことに
なる。
他にも、普段より豪勢な食卓を家族で暖かく囲んだり、
白くて丸い、赤い苺が乗ったホールケーキを求めて、
クリスマスの明るいBGMが流れる街へと赴き、長蛇の列の
一員となる。
そして、子供にとっての夢であり、最大の楽しみと
言えるのは、やはり、サンタクロースからのプレゼント
だろう。
子供たちにとって、自分の望んだプレゼントを届けて
くれるサンタクロースは、どのように映っているのか
わからないが、この時期になると、さぞかし、夢を膨ら
ませて大きく見開いた目をきらきらと輝かせることだろ
う。
その希望と大きな期待を胸に、輝く瞳を見た大人たちは
そんな期待を裏切らないためにも、また、長蛇の列の一員
となり、我が子のために他の客と争いを繰り広げるのだ。
今日は、そんな、クリスマスイブ。
クリスマスこそ、明日ではあるが、世ではイブの方が
人気である。
今夜も――街中のたくさんのサンタクロースが、11匹の
トナカイを引き連れ、子供の喜ぶ姿を思い浮かべながら、
子供の成長を願い――プレゼントをそっと、贈るのだ。
イブの夜――子供達も大人達も、心の中が幸せで
満たされる夜のこと――。
#ゆずの香り
僕の実家はゆず農家で、学生時代、実家住みだった時は
毎日、家の中がほんのりと、ゆずの香りがして、湯船には
幾つかのゆずが、ぷかぷか温かそうに浮いていた。
都内の大学に進学することになった僕は、春から、
実家を離れて一人暮らしすることになる。
一人暮らしともなれば、家事や身の回りの事は
自分でやらないといけないし、金銭面も慎重に考えねば
ならない。
上京してから、大変なことは山積みだけれど、
一人暮らしで1番変わるのは、甘酸っぱく、
優しく包み込んでくれるような、ゆずの香りが無くなって
しまうということだ。
幼い頃から、あの香りに包まれて育ってきたせいか、
両親と離れるくらいに、心にぽっかりと空くものがある。
そんな、ちょっとした、贅沢かもしれない悩みを
抱え、高校を卒業した春、僕は上京した。
時は流れて、6月。
常に忙しい雰囲気に包まれつつある東京にも、
田舎に似た優しさや、温かさがあることに気がつき
始めた、この頃だ。
日曜日、今日は大学もこれといった予定も入って
おらず、1日のんびり過ごそうと、マグカップに
コーヒーを注ぎ、少し大人な香りを楽しむ。
ほっと、一息ついていると、インターフォンが鳴る。
ドアの向こう側にいたのは、恐らく、配達物と思われる
ダンボールを持つ、顔立ちの整った、爽やかな配達員の
お兄さんだった。
荷物を受け取り、部屋の中まで運ぶ。
送り主は、両親からのもので、ダンボールが相当な
重さだったので、一体、何が入っているのかと、
恐る恐るダンボールを開けた。
開けると、僕が密かに待ち望んでいた、懐かしい、
甘酸っぱく優しい香りが瞬く間に、部屋に広がった。
送られてきたダンボールの中には、たくさんのゆずや
母親がつくったであろう、ゆずのジャム、父親作のゆずの
バスボムなど、大量のゆず関連のものが入っていた。
これが、世で多く感じられるという、実家からの
仕送りのありがたみ、なのだろうか。
早速、ゆずと母親お手製のゆずジャムを手に取り、
コーヒーを飲み干して、ゆず茶とゆずクッキーを焼いた。
ゆずをふんだんに使った、ティーセットを楽しみ、
部屋に広がる、実家と同じ香りに満たされながら、
僕の一人暮らしは続いていく。
第二の故郷と言うように。
ゆずの香りは、僕の第二の親といっても過言では無い。
#大空
一点の曇りもなく、一目見て、その純粋さと
清い心を知らしめてくる、そのきらきらと輝く瞳には、
どんなに綺麗な世界が映っているのだろう。
やはり、雲一つない、たくさんの夢や希望に満ち溢れた
未来が広がる、清々しい、心地のよい、大空なのか。