末枯れる、という言葉がある。
意味は草木などが冬が近づいて枯れ始めること。
読み方は『すがれる』。『うらがれる』とも読むが、私は『すがれる』の方が綺麗だと感じるのでそう読んでいる。
初めてこの言葉を知ったとき、なんて美しい表現だろうと嘆息すると共に、木の葉が枯れてもなお枝に縋っているというイメージが浮かんだ。
そのときから私は新緑や若葉や紅葉よりも枯葉が好きだ。
(枯葉)
お気に入りを選ぶことは苦手だ。
何かを選ぶことは、何かを選ばないということ。
それは酷く哀しいことのような気がしてしまう。
言葉の裏返しを見て申し訳ないと思ってしまう。
全てを同じだけ愛せたらしあわせだろうか。
(お気に入り)
カタン、と。ポストに軽いものが落ちる音がした。
見に行ってみれば、宛先も差出人も書かれていない淡い色の封筒が入っていた。
封を切る。
中には白地に暗い灰色の罫線が引かれたシンプルな便箋が一枚だけ入っていた。
そこには、変わらない癖が滲み出る字で素っ気ない一言が綴られていた。自分に不器用なのは10年経っても変わりないのね、と思わず笑う。
手紙を封筒に入れ直して机の引き出しに仕舞った。
10年後、同じ言葉を私に贈ろう。
(10年後の私から届いた手紙)
ときどき、今この場所で最期を迎えられたら幸せだろうな、なんて思う。
大切な人がいて、大好きな人がいて、今日という日はこんなにも綺麗で。
空を見上げていればそんな穏やかな希死は解けてなくなってしまうのだけれど、そうやって今日まで生きてきたし、明日も同じように生きていくんだろう。
(この場所で)
私は『自分を花束で表せ』と言われたら、紫、黄色、緑のチューリップを1本ずつ手に取ってその3本で花束を作る。
私を知らない人は、この花束からどんな印象を受けるだろうか。
私を知っている人は、私らしいと思うだろうか。
これは私が大切にしたい感情だ。私らしいかは分からないけれど、これ以上もこれ以外もない、私の花束。
(花束)