「珈琲」(即興フィクション)
「う…っ、」
思わず、むせてしまった。乾いた咳が引き起こされる。喫茶店や、職場にいる人々は、これをどう飲んで、美味しいと言うのだろうか。
コップに入った珈琲を、見詰める。ベッドの横の、窓を開けて居たので、感じていた、そよ風が止み、珈琲の波紋が凪いで、自分の顔が映る。そうして直ぐに、また、ひと口、飲む。吐き出さない様に、零さない様に、しっかりと、マグカップの持ち手を握って。
私は今、ただの憧れで、珈琲なんかを飲んでいる。それも、普段なら寝ている夜更けに。案の定、目は冴えるし、苦いし、不味いし、散々だ。正直、少し、後悔している。
私の憧れている人は、いつも、眠れない夜に、珈琲を飲むのだと、言っていた。余計に、眠れなくなるのではないかと、聞いてみた日には、眠れないのを、珈琲のせいに出来るから、それで良いんだよ。なんて言われて、少し、心配になった。
毎日毎日、彼は、飲んだ珈琲の豆の話を、していたから。
私が今飲んでいるのは、彼が、話していた豆の中で、一番、最近の物だ。これが、本当に、苦い。より、カフェインの強いものだと、言っていた。
ほんの少しずつ、着実に、飲み進めていた。飲み始めの頃に見つけた星座は、もう、沈んでしまった。熱さで誤魔化されていた苦味も、徐々にあらわれてくるのだが、それが大変辛かった。けれども、牛乳や砂糖は、入れない。彼が、入れない派だったから。
息を止めて、一気に、流し込むけれど、苦いものは、苦かった。
もう、晩御飯より、朝ごはんの方が、近いくらいに、夜が更けていた。けれども、飲み終わるのには、もう少し時間がかかりそうだった。
夜の味がしたから。眠れない夜の、涙の味がしたから。
揺れる珈琲が、また私を映していた。
不味いじゃん、と、上の方にある星に向かって、呟いた。
#2
「旅は続く」を書きたかったのですが、明るいお題は苦手です…。
「鮮やかな世界」(即興フィクション)
色というものは一体何なのだろう。この光の濃淡は違うのだと皆は言う。同じ闇にも、赤や青という名前が付いているらしい。
大抵、私と出会って間もない人は、空は時間によって色が変わるのだよと、得意げに言う。それくらい私も知っているのだと、口に出す事は無かったが。
赤信号、青信号、緑をあおと言ったりすること、トランプのハートやダイヤは赤いこと…。世の中には、当たり前の様に、色が満ちていると、私は知っているけれど、それを本当の意味で知る事は無いだろう。別に、それで良いんだけれどね。
…
朝食のトーストを食べながら、テレビで、ニュースを見ていると、また、「メガネ」の話が流れていた。近年、科学が発達して、目の見えない患者に、視覚情報を伝える事の出来るメガネという物が、開発されたのだ。病院で診断さえ貰えれば、誰でも、メガネをかけるにあたって必要な治療と、メガネの購入が、安価で出来るそうだ。今となっては、有名な事だが、私の様に、色の認識出来ない人も、対象らしい。
正直、そこまで興味は無かった。不便な事も、無くは無いけれど、大した支障には繋がらなかったから。それでも、友人が、是非、是非と、勧めるので、私は、仕方無く、そのメガネを購入する事にした。
太い縁の、デザイン性の悪い物だったが…。これの為に、手術までするのだから、大いに、期待させて貰おうか。
…初めての手術は、大して怖い物では無かった。
遂にメガネを受け取る日になると、友人が、付き添いに来て、ずっと、繋いだ手を振っており、落ち着かない様だった。
病院へ着くと、詳しく、説明がされ、中々、手軽な物では無いなあと思った。そのメガネを受け取った時には、これをかけたら死ぬのでは無いかと、なんの根拠も無い、漠然とした不安を感じた。友人が、私の服の裾を握るのが、これ程安心出来る物なのだと知った。
…医者や看護師や友人の、痛い程の視線を受けながら、私はメガネをかけた。
その瞬間、私に、まるで、誰かに、目を、刺されたのでは無いか!という様な、錯覚が引き起こされた。その診察室は、普段見えている物と全く違うものに見えた。あんまりにそれは鮮やかで、カラフルで、これが色という物なのだと思った…。皆はずっとこれを見ていたという事だろう?目に挟まっていたフィルムが急に剥がれた様だと言うべきか。
ぺたぺたと、周囲の物を、片っ端から触った。ちゃんと、これはパンフレットである。パンフレットはこんなにも綺麗だったのだ。この文字達は何色で出来ているのだろう。
私は、周囲を見回した。振り返った。友人に、これが何色なのか、聞きたかったから。
…
友人は、カラフルだった。
何となく、自分の手を見た。私は、カラフルだった。ずっとずっと、カラフルだったのだろう。
きっと、私の手は、寒色というものなのだな。やけに、エアコンが、強く感じた。
私は、メガネを、置いた。
#1